想い一片




 バルコニーに頬杖をつく。
 見下ろした先には何処からか帰城した親友の姿があった。
 鮮やかな青に染め抜かれた長い裾を翻し歩む様はさすが次期青騎士団長殿と褒めてやりたくなるほどだ。
「カミュー!」
 私の視線を感じたのか、マイクロトフは振り仰いでこちらへと手を振った。
 それへと軽く手を振り返し、それ以上の動作は起こさない。しかし、問い掛けだけは友人へと向けた。
「お帰り、でいいのかな」
「ああ。今さっき帰ってきたところだ」
 腰に佩いたダンスニーに柄に手を置き、完全に足を止めたマイクロトフはこのまま私と会話をする気になったようだ。
「忙しそうで何よりだ。それなら次期青騎士団長の重責に潰されなくて済む」
「赤騎士団長殿らしい優しい言葉と受け取っておくぞ」
 やれやれと肩を竦めてみせる。この友人はやがて背負う団長の肩書きが飾りではないという態度も出せるようになったらしい。
「お好きなように。ところでお前にはここでのんびり立ち話をしている時間はあるのかい?」
 首を傾げて言葉に微笑みを添える。
「そっちこそ暇つぶしの相手にも事欠いているんだろう」
「どうだろうね。想像にお任せするよ」
 頬杖をついていない手で追い払うしぐさをすると、マイクロトフは姿勢を正して私に頭を下げた。
 敬うつもりも無いくせに、格好だけはつけるのだから、見上げたものだ。
「失礼する」
 和らいでいた表情がきりりと締まり、そこに緊張が付け足される。
「ああ。邪魔をしたね」
 建物の中へと消えていく背にそう声を掛けた。



 友人。俺とカミューを取り巻く周囲の人間の言葉を借りれば、親友。
 カミューもそう思っているし、現に本人にそう言われたこともあった。
 違うわけではない。
 入団した時から共にある、かけがえのない友。それも本当だった。
 いつからこの微妙な胸の苦しさを抱え始めたのだろう。
 笑顔を見れば痛む。言葉を交わせばもっと痛む。
 心地良い今の関係を何故に自分が厭うのか解らない。理由もなく僅かな綻びを咎めて言い争いになることも最近増えた。
 突っかかっているのはいつも俺で、最初はカミューも受け流そうとする。けれど、それに気付いて更に苛立ちが募り、抑えが利かなくなってしまう。最後は、ただ傷つけ悲しませて終わる。
 嫌悪感を抱えて部屋に戻り、ベッドに身を横たえると自責の念が暗い泉のように溢れ出す。
 あまりに酷い言葉の数々に同席していた友人達も顔色を変え、俺を正面から批難した。
 しかし、標的であるはずのカミューは曖昧な微笑みを浮かべたままで一度たりとも俺から視線を逸らそうとしなかった。反論も異議も言葉にしなかった。
「くそっ…」
 手近にあった枕を力任せに投げ捨てて、体を起こす。
 浮かんでは消える曖昧な微笑み。時折そっと伏せられる双眸の奥の琥珀の瞳が幾度か淡く揺れた気がした。
 頭を掻き毟り、立てた膝の上に頭を置く。
「…カミュー」
 俺はもうずっと子どものような無邪気な笑顔を見ていない。



 小さく首を傾げ、何度も瞬く。
 友の言葉の意味は解った。けれど、何故そういう結論に至ったのかが理解できない。
 それが事実なら、まるで子どものようではないか。
 私は私の親友がまだ慣れぬ責務の鬱憤を晴らせる相手でいることを良しとした。
 親友なら、正面から喧嘩をしてもいいのかもしれない。しかし、それでは苛立ちを更に募らせるだけ。だから、何をどれほど言われようとも反論はしない。
 周りでやりとりを聞いている同僚や友人たちが顔色を変え、口々に私を庇い、親友を批難する。時には手が出る寸前までいくこともあった。
「だから、おれの結論は、あいつはお前が好きなんだろうってことだ。好きな子ほど苛めたいってやつかな」
「どうしてそう思うんだ?」
「勘だよ。それもかなり正確な。お前と違ってあいつは浮いた噂のひとつも無い。色恋沙汰とは無縁だ。肉親の情は知ってても、好きな相手に対する感情のコントロールが出来ない」
 冷めてしまった紅茶を一口啜り、友人は酷くシニカルな笑みを浮かべた。
「でも…」
「無理に応えてやる必要はない。第一、おれの勘を頼りに話しているだけだ。もしかしたら、思いっきり外している可能性もあるからな」
 ふっと道化のような笑みに変え、友人は席を立つ。
「あんまりお前が黙ってあいつの攻撃を受けてるからな、心配なんだよ。いくら親友とはいえ、限度ってものがあるだろう?…お前にそういう趣味があるならまだしも、な」
 片手で前髪を払って肩を回し、伸びをする。そしてその体勢のままで友人は中庭を挟んだ向こうの部屋を目を細めて見遣った。
「一度、娼館にでも連れてってみるか」
「駄目だろうね。私も何度か試みたけど、尽く逃げられた」
 信じられないと首を振り、友人は不満そうに鼻を鳴らした。
「お前が出入りを許されている娼館でも駄目なら、おれが誘ったって無理だ。格が違い過ぎる。…なぁ、今度はおれもそこに誘ってくれるか?」
「行く用事が出来た時に思い出したらっていうので良ければ」
 外していた手袋を嵌めながら、一応の約束はする。
「何だよそれ」
「今のところは予定がないんだ。何しろ相手には事足りてるからね」
 手を開いては閉じ手を繰り返し、手袋の違和感が無くなったのを確認してゆっくりと立ち上がった。
「…あー…」
「通り掛った時にでも口を利いておいてあげるよ。断らないでやってくれって」
 鼻の頭を掻きながら、友人は納得がいかない顔をする。
「とにかくだな、マイクロトフのことは流しておいてくれ」
 思い出した様子を装って、友人はそう言うとくるりと踵を返す。
「どうせなら本人に確認してくれればいいのに」
「好きだって言われたらどうするんだ、お前」
 背を向けたまま、友人は真面目な声音でそう訊いてきた。
「どうしよう」
 思ったままを口にして、一歩後を追うように踏み出すと、友人は立ち止まって振り返った。
「あいつの性格はお前が一番よく知ってるだろ!」
 大げさな身振りをまじえてそう怒鳴られた。
「答えはイエスかノーしかない。やっぱり曖昧なのは駄目か」
「お前も大概かなり失礼だな」
 首を回して関節を鳴らし、友人はポケットから少し汚れた手袋を取り出す。
「嫌いじゃないんだよ。好きかと言われれば好きだけど。でもそれはさ、恋愛感情とは違う。今は違う…」
 自分の中の特別な部分に、まだマイクロトフを当て嵌めることは出来ない。
 恋や愛に本気になれない私は、あの真っ直ぐな心根の親友に目には見えない境界線を越えて欲しくはなかった。



 見上げれば、曖昧な微笑みを浮かべたカミューの顔があった。
「カミュー」
 呼び掛けると、遠くを見ていた琥珀の瞳が俺へとゆっくり向けられる。
「今日も『お帰り』でいいのかな」
「いや、今日は何処にも出ていない。偶然ここを通っただけだ」
 先日もこうして言葉を交わした。あの時からまだ距離は少しも縮まっていない。
 バルコニーにいるカミューはやはりこの前と同じように頬杖をついていた。
「今、忙しいか?」
 少し躊躇ってからそう切り出すと、見上げた先のその人は静かに首を横に振る。
「お前と話がしたい」
 チャンスはいつでも巡っては来ない。今を逃せば、もう二度と無いかもしれない。
「いいよ。人払いもしておこうか?」
 深刻な顔をしているのだろう。カミューの顔から笑みが消え、柔らかな表情も無くなった。
「頼む」
 そう告げると、カミューはすぐに部屋の中へと入って行ってしまう。
 誰もいなくなったバルコニーを見据え、深く長い溜息を吐く。
 全てを失うことも厭わない。それは、悩みぬいて自分で選んだことだ。



 いつかが現実になった。
 マイクロトフは私の前に立ち、飾る言葉も無く、婉曲な物言いもせず、自分の感情をその一言に託した。
「好きだ」
 首を傾げ、そのままで瞬きをひとつする。
「私を?」
「ああ。カミューが好きだ」
 少しも揺らぐことのないその声に、何と答えて良いのか解らなかった。
 硬く閉じていた口唇を薄く開き、乾いてしまったそれを舐める。
「どうして?」
「理由などない。仮にあったとしても、それを上手く言えるような男だと思うか?」
 今までに何度も遭遇した告白される側の立場。今もそれに変わりはないのに、何故こんなにピンと張り詰めた息苦しい空気なのだろう。
「答えはすぐ欲しい?」
 いつもなら、答えは考えもせずにノーだけだった。けれど、私が口にしたのは返事ではなく更なる問いかけ。
「出来れば」
「困ったな…」
「悩むなら断ってくれ。遠慮はいらない」
 違うと首を振り、すぐ後ろにある執務机に腰を掛けた。
「マイクロトフ、私は…―――」



 くすくすとカミューは俺の腕の中で笑っている。
 少しなりとも思い返すだけで顔が赤くなる過去の話を嫌がらせのように語って聞かせようとするのだから性質が悪い。
「大好きだよ、今は」
「この先はそうでもないとも取れる言い方だな」
 金茶の髪を梳いていた手を止め、疑いの目を向けた。
「不安なら、いつでも確かめてくれていいんだよ。俺が好きかって、訊いてくれても」
 悪戯な微笑みを浮かべ、カミューは指先で俺の頬を柔らかく撫でる。
「いいんだな?」
「うん。好きだよ、愛してるって言ってあげるから」
 片想いだった頃の俺の胸の痛みを知らないカミューを力いっぱい腕の中に抱き入れた。
「マイク、…苦しい」
「少しくらい我慢しろ。俺に比べたら大したことないんだからな」
 昔のあの痛みを思い出し、顔を顰める。
「マイク…マイクロトフ」
 力いっぱいもがいて俺の腕を抜け出したカミューが顔を覗き込んできた。
「カミュー…」
 額に触れた柔らかい口唇が鼻先にも触れる。
「こんな私でいいのかって最近思うようになったなんて、あの頃より遥かに良い男になったお前には解ってもらえないだろうね」
 そう囁いて淡い苦笑を浮かべ、恋人は触れるだけの短いキスをくれた。








2007/06/23 
『Iacta est alea』の二条千裕さんから頂きました。
みなみの誕生日に何か書いて下さるという優しい二条さんに甘え
『青は赤に片想い、赤は青をまだ友人と思っている。青は平騎士で赤は団長』
という自分の萌えに忠実すぎる無茶なリクをお願いしました。
片想いの青さんのその気持ちにどう応えようか戸惑う赤さん。
そんな切なくも艶のある二人のやり取りが萌えますv
普段の二条さんの青赤さんと少し違った雰囲気のお話しが読めて嬉しいです。
ありがとうございました!