ロックアックスの車窓から




 車内はそれなりに混んでいる。マイクロトフは扉付近に場所を確保し、天井を押し上げるように掌を当てた。同時に車内ががくんと揺れて列車が発進する。
 扉の付近にはつり革が無い。身を支える為に必要な物が無かったから、天井についた手を突っ張り棒代わりにして、揺れに備えたのだった。
 マイクロトフは平均的な成人男性より身長が高い。更に言えば、身幅も一回り程大きい。列車のサイズは平均的で、小さいと言う事は無いのだが、マイクロトフを基準にすると、小さいように見えてしまう。
 身体が大きいと言うだけで、周囲には威圧感を与えるものらしい。座席付近に立つと、当然だが座る者を見下ろすような格好になる。それがどうも、座る者からすると、怖いのだそうだ。そうだ、というのは、ある男が『そうだ』と言っているだけで、本当に『そう』なのかどうかは分からない。しかし、そんな風に言われてしまっては気になるというものだ。実際、己の体躯が邪魔であろうという自覚はあった。それからは、座席に空きが無い場合、なるべく邪魔にならないだろう車内の隅や、扉付近に立つことにしている。
 車窓の向こうは白い。ロックアックスの雪解けはもう少し先になるだろう。
 ふと、視線が気になって車内に目を向けた。座席に座る少女、淑女、少年、青年の視線もあるようだ。こうなると、老若男女全てだろうか。一度、もしくは度々寄越される視線は、マイクロトフの身体の向こうを見ている。正しくは、身体の向こうに居る青年を、だ。
 彼はマイクロトフの隣りで、扉に背を軽く預けて立っている。それだけのことでも絵になる男だ。列車の車内では無く、貴族のパーティ会場、そのダンスフロアの壁の華。そんな光景を想起させた。
 壁の華は、フロアからの数々の花達の誘いを、柔らかに、頑なに拒んでいるようだ。
 彼がふわっと欠伸をした。その後は幾度か瞼を閉じたり開いたりしていたが、閉じている方が長かった。
 眠いのだろうな、と思った。マイクロトフは少しだけ立ち位置を変えた。その影に少しだけ入った男が、ぱちりと開いた目で訝しそうに見上げた。彼の身長も平均より高いが、マイクロトフよりは低い。
 何か言おうとした口は、何も言わずに閉じられた。意図を理解したようだ。扉に預けた背が、少しだけ沈んだ。閉じた瞼はそのまま開かなかった。
 やはり眠かったのか。先程の推測は確信になった。



 暫し穏やかだった列車の旅は、停車駅の喧騒で一時破られた。車内は先程よりすっきりしたようだ。
 車内に、ゆっくりと初老の女性が乗り込んだ。残念ながら、座席に空きは無い。マイクロトフが動くより、誰より早く隣りの男が動いた。いつ起きたのか、それに驚いた。
 彼は女性の手を取りエスコートする。発進で揺れる車内で、彼女が転ぶ事が無いように。エスコートという言葉は大げさに聞こえるが、彼の所作はそうとしか表現が出来ない。
 近くの座席に座る青年が立ち上がった。彼よりは若い青年だ。彼女は二人の青年に幾度か頭を下げて、譲られた座席に座った。
 ロックアックスでは、女性、子供、老人、不自由がある者に席を譲るのは当然のこととして浸透している。喜ばしい事だと思う。
 隣りに戻った男は、また扉に背を預けた。先程より、マイクロトフの体躯に隠れる位置だ。まだ、眠り足りないのだろうか。
「……カミュー、もう一駅で着くぞ」
 控えめに声をかけてみれば、小さく頷いた。分かってはいるようだ。マイクロトフは流れる窓外の景色を見つめた。雪に覆われた白い地平の向こうには、霧に煙る洛帝山の麓が見えた。この丘を越えれば、ロックアックスの街が見えるだろう。
 白化粧を施した灰色の街。数日振りの街を思い出し、少しだけ心が浮き立った。







ヨーロッパの列車をイメージして下さい。
(あっちの列車は立ち乗りってなさそうですが…)