グラスランドの様々な種族が集う城、ビュッデヒュッケの前庭で、兵士に訓練をつけていたボルスは、城の入り口から聞こえる喧騒に視線を向けた。そのざわめく人声の中に、慕わしい者の声を捉え、ボルスは訓練の手を止める。 「手、休め!午前の訓練は終了、一時間の休憩の後に午後の任に就く様に。解散!」 太陽はすでに中天。時刻は昼食を取るには丁度良い頃合だった。そうボルスは理屈付けて、散り始める兵士を押し退けるように入り口へと向かう。 「パーシヴァル!」 幾人かの兵士を従えたパーシヴァルがその呼び声に顔を向けた。数日ぶりに顔を合わせる恋人の姿にボルスの表情は知らず緩むが、パーシヴァルは部下の手前であろうか、その表情は硬い。 「出迎えありがとう…と言いたいところだが、お前、訓練中だったんじゃないのか」 「訓練は、終了だ。もう昼だからな」 本当は、パーシヴァルに会いたくて訓練を切り上げたようなものだが、一応、理屈を述べてみる。けれどそんな稚拙な言い訳がパーシヴァルに通用するはずはなく、小さな溜息と共にあしらわれてしまった。 「まぁ、そういうことにしておきましょう、ボルス卿」 「パーシヴァル!そういう言い方は止めろ!」 「お気に召しませんでしたか?それは残念」 あくまでからかうつもりらしいパーシヴァルにむっすりとする。人通りも多い前庭で、べたべたとは出来よう筈もないが、それでももう少し甘い雰囲気になっても良いのに、と思う。 パーシヴァルの言葉に一々反応するのが悪いのだろうが、それには気付かないボルスだ。 「腹が減っているから気が立つんだよ。さっさと飯でも食べてこれば良い」 漸く笑顔を見せてくれたパーシヴァルにボルスも表情を緩め、それならばとパーシヴァルを誘った。 「共に昼食にしないか?今日のランチは美味しいと聞いているぞ」 「誘いはありがたいが、遠征の報告があるからな。クリス様をお待たせする訳にはいかないだろう?」 「報告…そうか…。それは、そうだな」 クリスの名を出されては、無理を通すことも出来ずに、ボルスは頷いた。落胆するボルスを、パーシヴァルは省みない。それはままあることだけれど、去り際に向けられた笑顔に何処か違和感を感じて、ボルスはパーシヴァルへと手を伸ばしかけた。 けれどそれは、少年の呼び声に止められ叶わなかった。 「あ、パーシヴァルさん。おかえりなさい。無事に戻ったんですね」 「ヒューゴ殿」 炎の英雄の意思を継ぎ、グラスランドの人々を纏めているのが彼である。書簡を手にした彼の行き先は、どうやらパーシヴァルと同じらしい。 結局、ボルスは声をかける間を逸して、城へと消える彼らを見送ることになった。 レストランへと足を向けながら、去り際に見たパーシヴァルの顔を思い出す。いつも通りの笑顔で、けれど、引っかかったのは何故だろうか。 暫し足を止めて思考に耽ったボルスは、それが何なのかに気付く。目前に見えていたレストランと丘の上の城へと視線を交互させ踏鞴を踏み、最終的には足早にレストランへと向かった。 城内に与えられた一室に戻ると、平服姿のパーシヴァルがベッドに寝転がっていた。遠征から戻ったばかりなのだし疲れているのは当然だが、そればかりではない。 ベッドサイドのテーブルに、湯気を立てるスープやサンドイッチなどを乗せたトレイを置く。こちらに背を向け、微動だにしないパーシヴァルにボルスはそっと手を伸ばした。 「パーシヴァル」 「……構うな、疲れているんだ」 冷たくも聞こえる物言いを、いつもなら不貞腐れて怒ってしまうところだが、今は事情があることを知っていた。 「医務室にはちゃんと行って来たのか」 それに返事はなく、やっぱり行っていないのか、と溜息を吐く。 「…寝ていれば、大丈夫なのか?」 それには、頷いたような気配を感じて、とりあえずそう大したことはないらしいと安堵した。大仰に騒ぎ立てて失敗した経験の多々あるボルスである。本当に必要ならば医師の診断を受けることを嫌がらない彼だから、そこは信用することにしていた。 「スープとリゾットを貰ってきた。少しでも食べられるか」 ベッドの端に腰かければ、漸くパーシヴァルがこちらを向いた。不機嫌そうに顰められた顔で不服を訴えてくる。 「…そんなに、顔色悪く見えたか」 「いや…。全然気が付かなかったな」 「なら、どうして…」 ボルスがさらりと告げた内容を、嫌そうに更に眉を顰めて聞いたパーシヴァルに、ボルスが怪訝な顔をする。ボルスには、パーシヴァルが眉を顰める理由が分からなかったからなのだが。 「あぁ、そうだ!パーシヴァル」 「…何だ」 「おかえり。まだ、言ってなかったからな」 にこりと満面の笑顔のボルスに、パーシヴァルも小さく苦笑を零したものの、綺麗な笑顔を見せた。 「…ただいま」 『顔に、気分悪いって書いてあった』 ごく親しい身内でも騙されるパーシヴァルの笑顔に、もう騙されてくれないのだろうことへ敗北感を覚えたけれど。 疲れて戻った先で、慕わしい者の労わりの手が与えられることは、至極幸福を感じさせた。
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