陽だまりに咲く華




 高い空の薄い青を見上げながら、そこを行く茶色い生き物を追う。時折人にぶつかりながら追いかけたその生き物は、纏う赤いマントとそこに絡まる青い布を翻しながら人気のない城の奥へと向かっていた。
 同盟軍本拠地の城は案外と広い敷地を持っている。けれど、湖を望む崖に阻まれている箇所などは茂る木々に遮られて足を運ぶ者などない場所もある。
 ふらふらと元なく飛ぶ茶色い生き物。普通は魔物と呼ばれるそれだが、彼は星を宿す宿星の一人である。絡まった青い布切れに視界を奪われているのか、飛んでいく方向が定まらないままに、そういった場所へと紛れ込んだらしい。
 それを追う青年は、青いマントを風に弄らせ、ただ上空をいくムクムクの姿ばかりを視線で追っていた為に、自らがどの辺りに居るのかを認識したのは、茶色い塊が赤いマントを閃かせふらふらと木々の合間に落ちた時だった。
「ムクムク!大丈夫……」
 低木を除け、下草を分け入ってムクムクが落ちた辺りに足を踏み入れたフリックは、目の前に開けた陽だまりが作る光景に、一瞬言葉を失って口を噤んだ。
 そこは城の裏手と思われる場所で、丁度城の外壁を為す柱の一部がその空間を区切るように張り出している。

 木々に囲まれる中、ぽっかりと開いた小さな空間。温かな陽が降り注ぎ、晩秋であるこの時期とは思えぬほどに心地良い温もりに満ちていた。
 こんな場所があったんだな、と、そう思ったのはその場を去る時だった。この時フリックの瞳を奪ったのは、そこに人が居たからだ。それも、こんな所に人が居ることに驚いた訳ではなかった。
 薄い緑を為す草の絨毯の上に、見るからに均整の取れたしなやかな身体が横たわっている。緑の中、一際映える紅い軍装と陽を浴びて金に煌く髪。その髪を散らす額や頬は白磁のごとくにすべらかだ。その秀麗な面差しは穏やかに瞼を閉じていた。どうやら、眠っているらしい。淡い桃に染まる唇は薄く開き、静かな寝息をたてていた。
 それが誰であるのかは一目でわかった。同じ星を持つ仲間であり、お互いに隊を率いる立場に立つ者として顔を合わせる事も多く、それなりの友好を持ち合わせている相手だ。
 綺麗な青年だと、知っていたけれど、こうして彼が無防備に晒す寝顔など、初めて見るものだった。いつでも優美な青年は、それを損なわぬままに常より幼げな表情を晒していて、それに瞳を奪われたのだった。
 むぅ〜と、小さな鳴き声が聴こえ、フリックは自失から立ち直る。眠る青年の傍ら、絡まった青い布と格闘するムクムクに彼は静かに近付いた。
「…少し静かにしてろ。ちゃんと取ってやるから。カミューが起きちまうだろ」
 ムクムクはフリックの言葉がわかったのだろうか、大人しく絡まる布を取り去られるのを待っていた。
 布はそれほど複雑に絡んでいたわけではないようで、すぐに取り去ることが出来た。小さく息を吐いて布から埃を払うと自身の額へと巻く。自室に戻ったフリックが、誤って風に飛ばしてしまったバンダナが、丁度通りかかったムクムクに引っかかってしまったのだ。
 ムクムクと自身のバンダナを放っておくこともできずに、部屋を飛び出して追いかけたのだが、いつもの運の無さを今日は恨まずとも済みそうである。
 こんな穏やかな光景を目にすることが出来たのだ。眼福というものであった。
 彼らのやり取りにも一向に目を覚まさないカミューに、そのまま眠らせておこうと場を離れようとしたフリックは、はたと思うことがあってそっと彼の傍らに寄った。自身の纏うマントをそっと外して彼の身に着せ掛ける。随分と温かな場所であるが、陽が傾けば肌寒いかもしれない。戦を前提に作られた彼のマントであればそれなりの防寒も効くことであろうから。
「ムクムク、邪魔しちゃ悪いだろ。行こうぜ」
 小さい声でムクムクを促せば、未練がある素振りを見せたものの、付いてくる気になったようで、フリックの背にぽんとおぶさるように乗った。
 フリックは午睡の中にある華人を一度振り返って瞳に映すと、あとはそっとその場を後にした。



 午後を幾らか回り、茶の時刻になっても姿の見えない恋人を探して、マイクロトフは外庭に出た。彼の副長に行方を尋ねれば、暫く休憩にいく、とそれだけしか伝えていかなかったらしい。だから彼が訪れそうな場所を幾つか回ってみたが、姿を見かけた者が居なかった。それならば、どこかで午睡を決め込んででもいるのだろう、そう思ったのだ。
 城の裏手、人の入り込むことはないだろうと思われるその場所に、やはり彼は居た。穏やかな寝顔を晒し、陽だまりの中に横たわっている。それは騎士団に居た頃にもあった彼の密かな楽しみの一つであったから、マイクロトフには見慣れた光景だった。
 常なら、彼のその無防備な寝顔を眺め幸福な気持ちになるのだったが、この時は違っていた。
 彼の優美な肢体を、包み込むように青が覆っている。自身が纏う青ではない、別の青。それが、マイクロトフの彼への独占欲を刺激し胃の腑が煮えるような不快感を味わう。
 この場所は、カミューとマイクロトフしか知らぬ筈である。カミューが、無防備に身を晒す場所。そこを知る者はカミューの内へと迎え入れられた者だけである筈なのだ。
 纏う軍服の色の為であろうか、青と言えばマイクロトフを連想する者も多い。この同盟軍に於いて、マイクロトフの他に青を喚起させる者で、このような青のマントを羽織る者と言えば一人しか居なかった。
 彼は、信頼の置ける仲間である。カミューとの仲は良い方だと思うが、色恋の感情をカミューに抱いているとは思えなかった。無論、カミューが不実を働いているとも思わない。それでも、これ程までに彼を身の内に入れてしまったのかと思うと、嫉妬せずにはいられなかった。
 カミューを乱暴に揺すり起してしまいたい衝動に駆られ、マイクロトフは呼吸を整える。そして、殊更静かにカミューを呼ばわった。額にかかる金糸の髪を掻き揚げ頬を撫でる。カミューが小さく身じろぐのに合わせてもう一度名を呼べば、瞼が震え、蜜の色をした瞳が現れた。茫洋としたそれは、けれど正しくマイクロトフの姿を認め、甘く細められた。
「マイクロトフ」
 呼ばれて、マイクロトフは四肢の力を抜いた。やはり、カミューからは不実の影など感じられない。それにほっと息をついた。
 身を起したカミューは、自身に掛けられたものの存在に気付いたらしい。最初はその色に一瞬マイクロトフの物だとでも思ったらしい。だが、そうではないことにはすぐに気が付いたようで、訝しげにそれを見つめその持ち主と思われる者の名を呟いた。
「…フリック殿の…?」
「…覚えがないのか」
 マイクロトフの声音が自然と固くなる。けれどそれには気付かないらしいカミューは、ただこくりと頷いた。
 その無用心さに、マイクロトフは大きく息を吐いた。ここに彼のマントがあるということは、恐らくフリックがカミューを見つけてかけていったのだろう。風で偶然飛んでくるというような可能性は極めて低い。
 フリックは勿論殺気など帯びてはいなかっただろうから、警戒心もさほど湧かなかったのだろうとは思う。しかし、親しい仲間の気配に飛び起きることはなくとも、ここまで無防備なのはどうであろうか。それに…。
「あの姿を、他人に晒したのか…」
 カミューの無防備な寝姿は、普段の凛とした雰囲気が薄れ幼げな風に見える。それはひどく綺麗で愛らしい、マイクロトフの好ましく思う姿の一つなのだ。それを目にすることの出来た者は自身を覗けば数少なく、貴重なものであるというのに。
「…そんなに無様な姿で眠っていたつもりはないのだけれど」
 拗ねたように言うカミューは、マイクロトフの嫉妬心をまるでわかっていないようであった。機嫌を損ねたらしい彼は、フリックのマントを丁寧に畳み腕にするとマイクロトフを残して陽だまりから抜け、城の裏庭に通じる木々の合間に足を踏み入れる。
「カミュー!そういう意味ではない!」
「そうか。…あぁ、起しに来てくれてありがとう。私は執務に戻るから」
 慌てて彼を追い誤解だと言えば、カミューはそれをさらりと流して聞く耳を持つつもりが無いようだった。マイクロトフの瞳にカミューの手にした青が入る。それと共に、眠るカミューを見つけた時の不快感が蘇って、背を向けて歩くカミューの腕を取った。
「マイクロトフ?」
 手近の木の幹にカミューを押し付け、自身の体躯の狭間に閉じ込める。突然のことに身を固くするカミューの肩口に顔を寄せ、心のうちを吐露した。
「…お前の、無防備な姿を見られたくない。俺以外の、誰にも」
 彼を縛りたいと欲する自身の嫉妬を、醜いと思いながら告げたそれを、カミューは小さく笑ってみせた。
「…そうか。私が迂闊に過ぎたよ。これからは、気をつける。それで良いかい?」
 言い聞かせるかのような柔らかい声音に、マイクロトフはカミューを羽交い絞めていた腕を緩めた。
「…あぁ…そうしてくれ。あれ程に無防備では、その身が心配だ」
 顔を上げれば、思いの外に嬉しげなカミューの笑顔があった。



 空の色がオレンジに染まる頃合だった。夕食を摂るには僅かに早い時刻、空いた時間を持て余して、寝台に転がったまま兵法の書などぱらぱらと捲っていたフリックは、扉を叩く音に身体を起き上がらせた。
 防具の類いを取り去って、ブーツも脱いでいたフリックは、ぺたぺたと素足のままで扉を開く。その向こうには柔和な笑みを湛えたカミューが居た。
「お寛ぎのところをお邪魔してしまってすみません」
「え?…あ〜、いや、そんなことはないぜ。こっちこそこんな格好で悪い」
 肩当などは外していたものの、きちんと常の軍服を纏っていたカミューに比べ、自身のあまりに砕けた格好に恥ずかしさを感じたフリックは、照れ笑いと共に謝辞を述べた。傭兵仲間同士であればさほど気にもしないのだが、彼らのような騎士を相手にしては些か失礼であるかもしれない。実際のところ、カミューはそのようなことを気にしたりなどしないとわかるのだが、あまり格好の悪い姿を見られたくない気がするのだ。
 そんなフリックの小さな葛藤に気付くはずの無いカミューは、ただ柔らかな笑みを浮かべ手にしたものを差し出した。綺麗に畳まれた青い生地は、フリックのマントだった。
「これは、フリック殿のものですよね?お貸し頂いて、ありがとうございます」
 フリックは差し出されたそれを受け取る。ほんのり温かなそれは、あの陽だまりを思い出させて、胸をも温める心地がする。
「明日にも必要になるものだと思いましたので持ってきました。洗濯に出すような時間はなかったので、埃を払って天日に干しただけなのが申し訳ないのですが」
「適当に埃だけ払ってもらうだけでも良かったんだぜ。ありがとな。かえって余計な時間を取らせちまったみたいだな」
「いいえ。この程度は当然のことですし、お気になさらずに」
 にっこりと笑うカミューは綺麗なのだけれど、あの時に見たカミューの柔らかな気配とは違っていて、それが何故だか残念であった。あんな場所で眠っていたくらいだから、たぶんフリックのような偶然がなくば彼の姿を見る者は居ないだろう。だからこそ、ああまでに無防備な姿を晒していたに違いないのだ。しかし、フリックやムクムクがすぐ傍に在っても目を覚まさぬような風で、何かあったらどうするのだろうかと、ふいに思う。そしてそれはすぐに口を吐いて言葉となった。
「カミューは、ああしてよく寝てるのか?俺が見つけたのは本当に偶然なんだけど、全然目を覚まさなかったぜ。危ないだろう?」
「知り得る気配でなければ、即座に覚醒する自信はあるのです。…けれど、マイクロトフにも無防備に過ぎると言われましたから…多少、自重しようかとは思っていますよ」
 マイクロトフのことを語るときだけ、少し甘くなった表情に、どうしてか落胆する自分が居る。同室である彼らに対しては今更ではあるが、フリックだけが垣間見た表情ではないのだ。思いがけずに見つけた花は、すでにそれを愛でる者が居たということである。
「…あの場所は、もう使わないのか。俺が、見つけちまったもんな」
 他の者が知り得ない場所であるからこその無防備な午睡であろう。ならば、フリックが知ってしまった以上、もう使うことはないのだろう。そうして爪弾かれるのは寂しくもあるが、そういった場所が欲しい気持ちがわからなくもないのだ。
 小さく肩を落とすフリックに気付いたのかどうか。カミューは常では見せる事の無い悪戯気な笑みを零した。
「あの場所は、気に入っているのです。フリック殿は、他言されたりしないでしょう?…だから、もう少しの間は」
「そうか!…確かにあの場所、勿体無いよな」
 カミューが、少しではあるが内に入れてくれた気がして、知らず零れた笑みは、カミューが見たことのない綺麗なそれで、彼の内心を驚かせていたのだが、それには気付かないフリックであった。



 その後、カミューがあの場所で眠ることがあったのかどうかをフリックは詮索しなかった。彼の寝顔を盗み見るような真似をする気は無かったし、フリックが行けば、やはり落ちつかないだろうと思うのだ。

 しかし、冬の迫る晩秋の、ある晴れた日に。カミューを呼びに訪れたマイクロトフは、カミューとフリック、二人穏やかな寝息をたてる姿に、嫉妬よりも先に誘われた小さな苦笑を漏らすのだった。







青雷赤は割りと好きです。マイナーですが。
私は受けくさくて頼りないまんまのフリ攻めが好きです(笑)