「コースはこの大広間から地下一階に降りて、まず地下牢に行ってもらいます」 108の星の宿命を持つ者の名を刻む石版の佇む広間。天井も高く窓の多いそこは昼間ならば明るい陽に満ちているが、深夜を過ぎた現在は月明かりも無く暗く影を落とすばかりである。そんな広間に呼ばれた元青・赤両騎士団長二人はか細い光をしか灯すことの無いランプを持たされ、同盟軍盟主から今宵の催しの説明を受けているところだった。 「地下牢には色のついた鈴が置いてありますからそれを持って墓地の方に行って下さい。墓地の一番奥にある木に鈴を括り付けたらここまで戻ってくる」 簡単でしょう?と楽しそうに笑う盟主、フェイは無邪気そのものである。お祭りごとの大好きな少年が思いついた今回の催しはずばり『肝試し』であった。 元々そういったことに興味の無いマイクロトフとカミューであるが、興味が無いが故にならばぜひにと強く頼まれてしまったのだ。フェイに頼まれてしまえば嫌だとは言い難いことをフェイ本人も承知の上なのかもしれないが、断る理由も見当たらなかった二人はこうしてこの催しに参加することとなったのである。 二人で一つのランプを携えたマイクロトフが、では行くかとカミューを促せばフェイから静止の言葉がかかり足を止めた。 「剣は置いて行って下さい」 その言葉にマイクロトフが渋い顔をする。カミューも表情には出さないが同じ気持ちなのだろう。やんわりと拒む調子をみせる。 「フェイ様、城の中で安全であろうとは思いますが、万が一もあります。帯剣だけは御許し頂けませんか?」 「すみません、でもルールですから。大丈夫ですよ。万が一の時のこともちゃんと考えてありますから。安心して行ってきて下さい!」 にっこりと微笑むフェイのそれは有無を言わせない調子である。仕方なく腰の剣をフェイに渡した。さすがに剣士の命とも言われるそれだ。フェイは大切そうに二振りの剣を抱えた。 「それじゃあ、行ってきて下さい。ご健闘をお祈りします!」 そのフェイの明るい声に押されるように二人は大広間を後にする。地下へと続く階段は深い闇の底へ続いているかのようだった。 「カミュー、足元に気をつけろ」 「あぁ」 マイクロトフが半歩先を行きランプで足元を照らす。その小さな灯りは彼らの足元を照らす程度にしかなく、ほんの数歩先は漆黒の闇が広がっていた。 勿論普段から薄暗い場所ではあるが常からこの状態ではない。きちんと要所には灯りが灯されていて、歩くことに困ることは無い。けれど今夜は肝試しという趣旨のためだろう、その灯りの全てが落とされていた。 階段を慎重に降りた後は地下牢の方へと向かう。あまり足を運ぶ場所ではないが、その間取りは把握している。だからこの暗闇の中にあっても彼らは別段迷うことも無く歩いた。ただ万全を期して常よりも歩調はゆっくりであった。 「闇が広がっているというだけで、存外怖ろしく感じるものだな」 「…闇を、怖れているのかい?マイクロトフ、お前でも」 マイクロトフの意外な言葉をカミューはひどく重いものに取ったらしい。マイクロトフはそれを否定するように苦笑してみせた。 「勿論、闇を怖れる気持ちはあるが…。闇自身を怖れているのではない。そこに潜む者がありはしないかと、そちらを懸念してしまうというだけだ」 戦う者の性だろう、と言えばカミューも小さく笑う。 「…怖れるのは『敵の存在』であって、『幽霊』ではないということだな?」 「幽霊の存在を否定はしないが…。見たことがあるわけでもないからな。恐れを抱く理由も無い」 「そうだね」 本来の肝試しの趣旨はこの世ならざる存在にかこつけたものらしいが、マイクロトフにもカミューにもそれに対する恐怖心はない。闇に紛れる者の存在を懸念はしても、それに恐怖することもないから何にせよ二人には向かない行事ごとであると言えた。 マイクロトフのかざすランプの灯に灯されて地下牢の鉄格子が見えた。勿論だが現在捕らえられている者は居ない。でなければここを使用することは出来ないだろう。その空の石牢の中に小さな木箱が置かれ、『鈴はこちら』という紙が貼られていた。 暗闇の中、中身のわからぬ木箱にむやみに手を突っ込んだりするマイクロトフではなく、ランプをかざして中を確認する。 その木箱には、確かに幾つかの鈴が入っていた…が、それ以外のものも入れられている。 「……蛇…かな?」 マイクロトフの背中越しに覗き込んだカミューが呟く。 「そうだろうな。…おもちゃのようだが」 カミューがひょいとその優美な指を伸ばし二つの鈴を手にする。その為にはおもちゃの蛇に触れねばならなかったのだがその感触にカミューが笑ってみせた。 「…これは…知らずに手を伸ばして触れれば意外と驚きそうだよ。随分、気味の悪い感触だ」 「子供だましな方法ではあるが、正体のわからぬ暗闇の中では有効、ということか?」 「あぁ。…案外、楽しませてもらえるかもしれないよ?マイクロトフ」 小さな笑いを漏らすカミューの表情は確認できないものの、楽しげな響きを伴っていることはわかった。 「折角もらった二人きりの時間だものな。夜のデートだとでも思って楽しむことにしようか?」 そう言ってカミューはマイクロトフの指に自身のそれを絡めた。 「…見られては、困らないか?」 「…こんな闇の中で、見ることが出来るとでも?…そう思えば、闇もそれほど悪くは無い」 楽しげなカミューを見ることがやぶさかであるはずのないマイクロトフだから、繋がれるままにカミューと肩を並べて歩く。その歩調が変わらずゆっくりであるのは何も暗闇を考慮してだけではないように思われ、マイクロトフも密かに笑みを零した。 地下牢を後にした二人は墓地へと向かう分かれ道に差し掛かっていた。一階大広間へと続く通路と船着場へと続く通路がぽっかりと壁に四角い穴を開けている。 ふと、何かの気配を感じてマイクロトフは繋いだカミューの腕を強く引いた。カミューも気付いたようだったがマイクロトフが腕を引く方が早かった。カミューはバランスを崩してマイクロトフの胸へと倒れこむ。 ひゅ、と微かな風の音をさせて行き過ぎようとする何かはカミューが居た辺りを通り過ぎる。それは白い何かで、それほど大きくはないものだった。だが何であるかまでは見ることが出来なかった。 「…何だろうな?…たぶん、私達を脅かす為のものだろうから危険は無いと思うが…」 「…通路が濡れているな…。先ほどは、そうではなかったはずだが」 「…幽霊、とか?」 冗談めかせて言うカミューにマイクロトフは小さく息を吐いた。 「…どうだろうな。今のところ何の害意も感じられないが、少し、慎重になった方が良いかもしれないぞ」 「大げさだな。フェイ様も危険はないとおっしゃっていたし…まぁ、マイクロトフがそうしたいと言うなら私は構わないよ」 心配するマイクロトフを他所にカミューは墓地へと向かおうとしていた。引き際が肝心、といえども今はまだその時期ではないようにも思う。何かしら起きているのなら確かめる必要もあるだろう。その白い何かは墓地の方へ移動していたからそちらに行けば何かわかるかもしれなかった。 マイクロトフは先を行こうとするカミューに肩を並べると、通路の先を照らして歩き始めた。 墓地へと辿り着くと、そこは思ったよりも明るかった。目が暗闇に慣れたこともあるだろうが、そこは数箇所灯りが灯されている。 墓地の奥、鈴を括り付ける木の生えた辺りは闇に覆われ伺えなかったが、その周囲に関しては問題が無いように見受けられる。 「あぁ。あの木に括ってこれば良いんだね」 「見えるのか?」 「うん。輪郭程度だけれどね」 「何か、問題があるように感じるか?」 暫し瞳を凝らすカミューはいや、と首を振る。けれどどこか歯切れの悪い物言いにマイクロトフは重ねて問うた。 「どうした。気になることが?」 「…ここが、いわばメインの場所だろう?…何も仕掛けられていないのだろうか?」 「どういうことだ」 「うん、だからね。私達を驚かす何かがあるはずじゃないかってことなんだけれど」 驚かす何かと言われてもマイクロトフには見当が付かない。そういえば、先ほどみた白い何かも見当たらない。 「…ともかく、あの木の傍まで行ってみようか?鈴を括れば後は戻るだけなのだからね」 「…そうだな。ここでこうしていても、仕方あるまい」 カミューの促しを受けマイクロトフが先に立ち墓地の奥へと歩を進める。数歩進めばマイクロトフにもその木の輪郭が見えた。様子を確かめるためにランプを掲げる。 木の葉が、ざわりと動いたように感じて足を止める。それが気のせいではなかったことに気が付いたのは耳を過ぎる無数の羽音と甲高い金きり音が響いた時だった。 周囲を黒いものが飛び回っている。何が、と顔を向けるとカミューがマイクロトフに背を合わせてきた。 「蝙蝠だ、マイクロトフ」 「蝙蝠だと?」 「人を襲ったりするようなものは居ないはずだが…」 言いかけたカミューの言葉は途中で途切れた。息を呑む様が背中越しに感じられカミューを振り返る。 カミューは首筋を押さえていた。そうしてカミューに気を取られた一瞬にマイクロトフの腕に刺すような痛みが襲う。 「な、んだ…?」 自身の腕を見れば小さな赤い痕が残っていた。虫に刺されたようなそれはしかし傷の小ささには合わぬ血を流している。 「マイクロトフ!吸血蝙蝠と呼ばれるものかもしれない。この数に血を吸われれば、貧血どころでは済まないぞ」 暗闇の中蝙蝠の羽音が間断なく聞こえるがその姿は捉えられない。ランプは地に落ちており、上空を照らすことは適わなかった。例えランプが手に在ったとしても、それをかざす余裕など無いと思われたが。 マイクロトフはさっとランプの照らす地に視線を走らせた。腰に、常にあるはずの剣は無い。思わずそこに手をやっていたが、フェイに預けたことはすぐに思い出していた。 走らせた視線の先で少々短いものの、それなりの太さをもつ棒切れを捉える。素早くそれを拾うと、間直に寄る蝙蝠を叩き落す。自身のすぐ傍にまで近寄られれば、なんとか姿を捉えることが出来た。 カミューは生まれながらに宿した紋章・烈火の力を使っているのだろう、闇に灯る火が見て取れた。ただ、詠唱の間に合わない状況である。瞬時に呼び出せる炎では手直の蝙蝠を燃やす程度の威力しかないようだった。 「カミュー!魔法の詠唱を!」 背を合わせる格好だったカミューを背後から抱くように位置を替えたマイクロトフが叫ぶ。カミューの前面に来る蝙蝠はマイクロトフが叩き落す。これならばカミューの身は安全であるはずだ。自身の背中の防御は無いものとなるが、カミューの詠唱が終わるまでの時間であれば耐えることも出来るだろう。 そのマイクロトフの意図に気付いたカミューは素早く意識を右手に集中させ、詠唱の言葉を紡ぎ始めた。彼が周囲を焼き払えば蝙蝠達はひとたまりもないないだろう。幸いここは墓地であるから周囲に燃え移る危険のあるものも無い。 カミューの気配がぴんと研ぎ澄まされる。二人の周囲に緊張が満ちたときだった。 「烈火は勘弁してやってくれぬか」 さっと周囲の蝙蝠が消え、代わりに白い蝙蝠が姿を現した。その姿に見覚えのあるマイクロトフは振り上げていた腕を静かに下ろす。カミューも詠唱を止めていた。 「…シエラ殿…?」 カミューの呟きに白い蝙蝠が輪郭を歪め一人の少女へと変貌する。呆然とする二人に向かい、その容姿に合わぬ古風な口調で苦笑った。 「やれやれ…。少し調子に乗りすぎたようじゃ。すまなかったな」 「…あの蝙蝠はシエラ殿が?」 マイクロトフの問いにシエラは頷く。 「あやつに頼まれての。驚かせるための役をやっておったのじゃ。本来なら攻撃などさせぬのだが…おんしら、つまらぬものじゃから」 シエラの心底つまらなそうな呟きに、襲われて怪我を負った自身らのことを一瞬忘れあっけに取られた。彼らにしてみれば被害者なのだがそう思わせない迫力がある。 「脅かそうにも隙がない。それに、蝙蝠が周囲を飛び交ったとておんしらでは驚きもせんのじゃろう?少しはおんしらの澄ました顔を崩してみたくてのう」 ころころと可愛らしい声で笑うが、その見た目の美少女ぶりに反して随分と怖いことを言っている。負けず嫌いでお祭り好きな彼女らしい言いようだが、標的にされた自身らは堪ったものではない。 「シエラ殿。物には程度があります。これは、その程度を超えている」 マイクロトフの言い分は正当なものであったが、シエラにはお小言にしか聞こえないらしい。不機嫌そうに眉をしかめた。 「だから、謝ったであろう?」 「カミューに、戯れで傷をつけるような事をしないで頂きたい!」 マイクロトフの腕の中には未だカミューが居る。その白い項に赤い痕がつき、血を滲ませているのがすぐ目前に見えていた。 マイクロトフがその血を舌で拭えば、カミューが身体をぴくりと振るわせた。と同時に突き飛ばされる勢いで突き放され、マイクロトフは瞳を瞬かせた。 カミューはその首筋を押さえるとマイクロトフを一瞬睨みつけ、シエラに向き直った。シエラの表情は呆れかえっている。 「…シエラ殿…お気になさらず…。確かに行き過ぎの感は否めませんが、我らの傷も大したことはありませんし」 「その傷だが、見た目ほどのものではないぞ。一晩眠れば綺麗さっぱり消える程度の傷じゃ。勿論、血など吸ってはおらんからな。安心せい」 「…そうですか…」 マイクロトフが安堵の溜息をついた。さすがに、仮にも仲間である者を害するようなことはしていなかったらしい。 シエラがにんまりと笑んでカミューを見やった。 「そこの青いのがおんしにつける『痕』のほうが、よっぽど性質が悪かろう…」 「…っ!シエラ殿…!」 たしなめるカミューの呼び声にほほほと笑い声を零しながら彼女は闇に消えた。完全に彼女の気配が消えた後、カミューが大きく息をついた。 「…厄介な方に知られてしまったようだな…」 カミューの呟きにマイクロトフが首を傾げる。 「カミュー?」 「…お前は…どうしてこういうことに関しては慎重さが無いんだっ!」 睨むカミューにマイクロトフはすまん、と謝罪をするものの、今一彼の怒りの理由にはぴんときていない。前後のことを思い出せば傷口を舐めたことが気に障ったらしいが。 「カミュー、とにかく鈴をつけて大広間に戻ろう。もう、危険はないのだろう?」 「…あぁ。たぶんね。…でも、念のためだ。…離れて歩いてくれよ?」 どうして離れて歩くのかと問えば、カミューはまだ覗かれているかもしれないから、と言う。そしてさっさと鈴を括りつけるとランプを拾ってすたすたと歩き出した。ランプの灯りが無ければさすがに足元が不安である。マイクロトフも慌ててその後に続いた。 墓地の奥、幾つかの鈴が括られたその木の枝にふわりと座る。 「ようも、見せ付けてくれるわ」 そのシエラの呟きは誰に聞かれることも無く闇に消えた。 大広間に戻ると、フェイが瞳を輝かせていた。 「どうでしたか!?怖かったでしょ?」 預けていた愛剣を早々に受け取りながら顔を見合わせる。先にカミューが笑顔をみせてそれに答えた。 「えぇ。随分怖ろしい目に合いました」 「その割りに、笑顔ですよね〜カミューさん。ちぇ、失敗しちゃったかな〜」 「いえ、そんなことはありません。本当に怖ろしい目に合ったのです」 マイクロトフの生真面目な返答にフェイは疑いながらも納得したらしい。再び笑顔を見せた。 「…カミューさん、それ、怪我…?」 フェイがカミューの首筋を指差す。カミューが苦笑して事の経緯を説明しようと口を開くと急に慌てふためいて両手を振った。 「わわっ!すいません!それ、見なかったことにしますから!た、楽しんでもらえて、良かったです!」 真っ赤になってしまったフェイに怪訝な視線を向けていた二人だったが、はたと気付いたのはカミューだった。 「フェイ様!大きな勘違いをなさっていませんか!?」 「えと、そ、そういう楽しみ方も…ありますよね!わかってますから…!」 「〜〜〜〜だ、だから、誤解ですっ!!」 事の様子を理解できないマイクロトフに替わって真実を説明するカミューの言葉を、フェイが信じてくれるまでに随分な労力を払うことになったカミューは、この不名誉な誤解が解けないことが今夜最大の怖ろしい出来事になることとなった。
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