石の回廊を歩んでいたカミューは、耳朶に掠めた声にその足を止めた。陽の光差し込む窓の付近を歩いていたとはいえ、余程神経を研ぎ澄ませていなければ聞こえぬというような、ごく僅かな大きさの音を、しかしカミューは確かに聞き分けていた。そんな自分に微かな笑みを浮かべる。そこには多大な自嘲が含まれていた。
 回廊内は、立ち働く騎士達でそれなりの喧騒に包まれていた。勿論、私語などすることもなく、大声で話すような無作法もないが、多数の人数での僅かな会話や、何より、石の床を踏みしめる軍靴の音は存外響くのだった。
 そんな多数の音を物ともせずにカミューに知覚された音は、一人の男の声だ。この世で最も多く耳にし、最も多く名を呼ばれ、そして、最も愛した男の声だからこそ、聞き逃すことのなかったものだ。
 階下の窓の外へと視線をやれば、遥か下に数人の騎士の姿が見えた。手には模造刀を握り、何事か会話をしながら城内に続く扉へ向かっているようだ。
 鍛錬場から戻る道すがらであるのだろう。剣の鍛錬を好む男は、すっきりとした面持ちで笑顔を見せていた。僅か風に乗って聞こえる彼の声が、やや興奮気味に剣技について語っている。
 団の色が違うことが大きいが、お互いに忙しく、ゆっくり語り合う時間もない。こうして姿を見かけるのも久しぶりで、カミューはじっと彼の笑顔を見ていた。
 彼らの姿が門扉の影に入った頃を見計らい、もたれていた窓辺の壁から身を起こそうとすれば、同僚の騎士達に片手を上げて見送り、一人残った彼が唐突に上を見上げた。
 思わずびくりと身を震わせたカミューに向けて、先程よりもずっと明るく優しい笑顔が零れた。
『カミュー』
 さして大きくもない声が己の名を呼ぶ声を、カミューは確かに聞いた。瞳を柔らかに細め、カミューを見つめると、すぐに同僚の騎士を追うように門扉の内に消えた。
 再び壁に身をもたせかけながら、瞳を閉じる。瞼には彼の笑顔の残像が焼き付いていた。
 彼は、一度も上を見上げることなどなかった。傍に居た騎士も同様で、遥か階上の小さな窓から覗くカミューの姿など、気付く筈はない。
 けれど、彼は確かに己を見て名を呼んだ。
 想いを自覚してからずっと、心の内に秘めている想いを、いつか彼に気づかれるのだろう予感がする。
「…マイクロトフ」
 彼の名を、苦く甘い想いで小さく呟いた。







『見てみたい青赤お題11』の忍ぶ恋な青赤です。
いつも青さんの片想いを書くので、これは赤さんの片想いで。
と言っても、実は『両思いなのに気付かない』のお題も入ってたりします。