上官と部下の関係




 青騎士隊長を拝命するマイクロトフは、夜営用のテントに向かっていた。上官に呼び出されているのである。魔物討伐と称して、白騎士団長ゴルドーによって、マチルダから厄介払いされた男がその上官だ。



 名を、カミューと言う。ここマチルダでは、騎士として第二位の地位である、赤騎士団長である。彼は、遠い草原の国、こちらでは蛮族等と卑下する呼ばれ方もする国の出身者でありながら、カマロ自由騎士頭領の息子として、あの広い草原の国ではそれなりの権力と財力を持っている。
 その上、男性と分かっていながらも、誰もが見惚れてしまう程に容姿は端麗であり、頭もすこぶる良い。更に言うなれば、剣の腕も騎士団随一、紋章にも長け、右手には稀有なる上位紋章、烈火を持つという、まぁ兎に角完璧な男だった。そう、性格さえ除けば、完璧な。
 カミューという男は、一言で言えば唯我独尊な男だった。気に入らない相手は例え上司のゴルドーであろうが、他国の王であろうが関係なく、完膚なきまでに叩き潰す。己の容姿と頭脳と身体能力を完璧に把握し最大限利用した上で、生まれ持った権力と金を使うことを惜しまない。惜しまずとも、溢れる程に持っている訳だが。
 マイクロトフはと言えば、正義を重んじる性格であった。騎士道を貫き、不正を許さず、公正であれ、と。それがどういう運命の導きか、マイクロトフはカミュー付きの部下に任命されてしまった。
 入団が同期であり、従騎士時代は同室の仲間であった為だろうか。カミューはマイクロトフをからかうことを好み、マイクロトフも彼に付き合うことに慣れてしまった。現在、唯一とも言える『カミューのご機嫌を何とか取る事が出来る人物』が即ち己であり、必然、カミューの『お守り』のお鉢が己に回って来たと言う訳だった。
 本来ならば他団の騎士を部下に持つと言うのは可笑しな話で、通常職務は青騎士団隊長として変わりなくこなしている。赤騎士団長に『何か』ある時には、それら職務より優先して彼の部下としての職務に付くのだ。今回もそれにあたり、魔物討伐に任命されてマチルダを『追い出された』彼のご機嫌伺い役と言う訳である。



 そして、この呼び出しもまた、カミューの『ご機嫌伺い』の一環である。彼に気紛れに呼び出され、気紛れに付き合わされることは多い。仕事上でも、私事でも関係無しにだ。騎士団も所謂縦社会である。上官の言に部下は逆らえないのが常であった。
 やや重くなりがちな足取りを何とか前に運ぶと、呼ばれてきっかり5分でカミューのテントに辿り着いた。これ以上遅れると、何を言われるか分からないのだ。言われるだけならまだしも、何をさせられるかも分からない所が厄介な訳だが。
 テントの扉には布が垂れており、マイクロトフはその前で姿勢を正した。
「マイクロトフ、参りました」
「入って良いよ」
 中に向かって声をかければ、テノールの心地良い声が入室を促した。失礼します、と布を捲り頭を下げれば、良いから良いから、とぞんざいにふらふらと振って見せる上官の手が見えた。頭を上げて楽にしろ、と言いたいらしいが、実際そうして見せたら機嫌を損ねるのは目に見えている。マイクロトフは頭を上げると、姿勢は正したままに少しだけ緊張を解いた。堅苦しく立ったままのマイクロトフを、カミューがちらりと横目で見やる。己には不穏この上ない眼差しだったが、カミューを知らぬ者には、艶やかな流し目に見えたことだろう。
 手に書簡を持ち、それを嫌そうに眺めるカミューに、マイクロトフは呼び出しの用件を問うた。
「呼び出しの用向きは如何なものですか」
「椅子」
 間髪入れずに返った単語に、は、と口をぽかんと開ける。マイクロトフは呼び出された理由を問うたつもりだったが、『椅子』では、答えになっていないとしか思えない。
 しかし、そこで更に問えば、察しが悪いと文句の一つも二つも飛んでくる。マイクロトフは、兎に角傍にあった椅子を引き寄せると、立ったままだった上官にそれを勧めようとした。しかし。
「座って」
 またもや口をあんぐりと開けそうになりながらも、寸前でそれを堪える。座って、と言うからには、己に椅子を勧めているということだろう。部下に対してそのような気遣いをこの男がするとも思えないが、今の所はそうとしか聞こえない。マイクロトフは慎重に己の上官を伺った。
「上官を差し置いて、自分だけが座る訳にはいきません」
「良いから、座る!」
 書簡をぽいと小さな机に放ると、流麗な弧を描く眉を吊り上げた。そうした不機嫌な表情すら、綺麗だと思えるこの造作は素晴らしい。素晴らしいが、これ以上機嫌を損ねるのはマイクロトフの本意では無く、小さく諦念の溜息を吐いて、失礼します、と椅子に腰を落とした。
 と、カミューがつかつかとブーツの音も高らかに傍に寄り、さも当たり前の如くに己の片腿に腰を落とした。長い脚が組まれ、僅かに凭れかかられると、頬にふわふわした金茶の細い髪が触れた。そこからは、微かに甘く良い香りが漂う。例え同じ男と言えども、誘惑されてしまいそうな状況だ。確かに、状況だけなら満更でも無いと思えるが、そう単純に話が運ぶ筈も無い。
「…カミュー団長。用件の方は」
「今、して貰っている最中だろう」
「………」
 どうやら、カミューは夜営用に準備された椅子がお気に召さなかったらしい。確かに、利便性を重視した折り畳みのそれは、硬くて座り心地が良いとは言えない。それでも、きちんと布張りされて綿も僅かにあるそれは、マイクロトフら部下達の物よりずっとましである。と言うより、部下達に与えられる椅子はまず無く、座るならテントのシートの上か地べただから、むしろ比較にもならない位だ。
 カミューは唯我独尊だが、ここぞという時には何の不満も零さない。戦の最中、椅子が無ければ何処にでも座り、何処ででも眠る。不味い携帯食もそうだ。こうして不満を出すと言うことは、余裕があるから、ということに他ならない。気に入らない相手を叩き潰すにしても、それはマチルダに害を為す者ばかりで、護るべき者に手を上げる真似は一度もしたことが無い。だから、マイクロトフは彼と付き合っていけるのだ。



 彼を膝に座らせた、何とも居心地の良いような悪いような状態に沈黙を通していると、カミューが口を開いた。
「ここの近くに、村があるだろう。若い娘を無理矢理連れて来ては侍らせてる、いけ好かない村長の。あの男がとうとう訴えられて掴まったらしい。マチルダ帰還の際に更迭するように、とのゴルドー様のご命令があった」
 それは独り言のようにも、わざわざ囁かれたようにも聞こえた。いや、それは確実に後者だった。それを、次の言葉を聞いて悟った。
「ここへ呼んである。もう来るだろうね」
「ここへ!?それは…!!」
 こんな格好の姿を晒されるのかと慌てて口を挟めば、ぴしりとカミューの命令が飛ぶ。
「椅子は黙れ」
 マイクロトフは、溜息と共に項垂れた。これは、諦めて犠牲者になる覚悟をした方が良い、と。その覚悟が決まるかどうかと言う内に、件の男が連れられた旨が、赤騎士から伝えられた。カミューが赤騎士を下がらせると、入れ替わりに村長の男が入ってきた。ゴルドーの血筋を汲んでいるらしく、捕まっていると言うのに態度はふてぶてしい。そして、マイクロトフとカミューを見て、指を差してがなった。
「な、何だね?!そのふしだらな態度は!?仮にも団長たる男が、見目の良い者をそのように膝に座らせて、仲良く執務でもしているのかね!?」
 マイクロトフは何度目かに嘆息した。カミューは今、赤騎士団長の衣裳を脱いでいて、来ているものは簡素なシャツとパンツだった。マイクロトフは騎士装束を纏っていたが、この男、どうやら指揮官が赤の騎士団長だと言うことも、その団長の顔も知らないようだ。カミューの異国の容姿は如何にも美しく、生粋のマチルダ生まれの己は、黒髪黒瞳の如何にも騎士然とした見た目である。その為に、彼はどちらが上官で部下であるかを勘違いしたらしい。
「可哀想に。私がゴルドー様に進言してやろう。さぁ、こちらに来なさい」
 カミューの容姿に見惚れ、でれでれとした顔で、男が丸ぽっちゃりとした手を差し出した。マイクロトフは事の先を予想できたが、カミューが座っていて動けない上に、椅子は黙れと言われている。上官命令は絶対であるから仕方が無い、と見なかった振りを決め込んだ。
「…そんな脂ぎった気持ちの悪い手で…」
「は…?」
「私に、触れるな!!」
 だん!と小気味良い音と共に、男の身体が見事な弧を描いて床に叩きつけられた。簡易の絨毯が敷かれているものの、地面に直に敷かれた床はさぞかし痛かろう。しかし、それに同情する気は起きなかった。すくっと立ち上がったカミューが、ブーツで床に転がる男を思いっきり踏みつける。
「ぎゃっ!」
「…呻き声も、見苦しいな」
 蛙の潰れたような声で呻いた男に、カミューの冷淡な侮蔑が投げかけられる。カミューは女性を軽んじる輩が事の他嫌いだった。その男は、確実にその内に入るだろう。
「私に引き渡されたからには、五体満足でマチルダに行けると思うなよ…?」
 にやりという形容が相応しいその笑みは、それでもその美しさを損なわない。完全に迫力に負けた男が、ひっと情けない悲鳴を上げた。こういうやり方は好かないが、この男を庇ってやろうという気が起きてこない。精々、カミューの『おしおき』で少しは改心してまともになるが良い、と、マイクロトフはもう数える気にもならない幾度目かの溜息を吐いた。





薬師寺涼子のダブルパロ話でした。
最近出たばかりの黒蜘蛛島のネタを拝借してアレンジしてます。
お涼様を見るたびに、『カミューっぽい〜v』と思ってしまいます。
カミューはあんなに女王様じゃないとは思いますけど(笑)
たまには、赤のモーションにちっとも気付かないし乗ってこない朴念仁青も良いかな〜と。
なので、この青には一応、赤への恋心はありません。でも青赤(笑)