同盟軍本拠地内に設けられた酒場は、今日も賑わいをみせていた。 この酒場に集まる多くは荒くれ者がほとんどで、そんな中に綺麗どころと言えばアニタ、バレリアといったそんな荒くれ者達を物ともしない二人にむさ苦しい者の多い傭兵達の中でも美青年、などと呼ばれているフリックくらいである。 けれど今日は、その見慣れた綺麗どころとは格を異にする『綺麗どころ』が酒宴に混じっていた。 普段は綺麗に撫で付けられている髪は、しっとりとした艶をみせて白く形良い額に零れるがままになっている。 昼の職務の間は、首筋から身体の末端までをきっちりとした軍服に身を包んでいるが、今は簡素な白いシャツとパンツというラフな姿である。 マチルダ騎士団において第二位の地位を表す赤い装束を纏い、秀麗な面差しに、柔和な笑顔を見せる美貌の騎士。元赤騎士団長カミューと言えば、同盟軍内で知らぬ者は居ない。 そのカミューが、今夜はビクトール・フリックら馴染みの傭兵両名と共に杯を傾けているのだ。 カミューは普段は相棒である元青騎士団長マイクロトフと共に、与えられた自室でワインの杯を傾けるのが常であるらしい。 時折ここにやってくる時も、その隣にはマイクロトフが居るのだが、今夜はカミュー一人だった。 ふらりと姿を見せたカミューを、自身らの卓に誘ったのはビクトールだ。彼が一人でやってくることはたまにあることだったのだが、どうにも無防備な風情に少し心配になったのだ。 常ならば柔らかな笑みを零しながらも、隙を伺わせない空気を纏っているのだが、今は、それが感じられないように思う。このまま放っておくと、血の気の多い奴らにどうこうされかねない雰囲気でそれが気になったのだ。常のカミューにならそんな心配は無用であるのだが。 「マイクロトフは、まだ戻っていないのか?」 「えぇ。夜も更けていますし、戻りは明日の早朝辺りかと思います」 カミューの様子に気付いていないのか頓着していないのか、たぶん、前者と思われるが、フリックが無邪気に話しかけると、卓上の酒を勧める。それ程値の張らないウイスキーを、カミューの方も断らずに注がれるままにしている。 「…こんな夜更けにこっちに飲みに来るのは初めてだろ?どうかしたかよ」 「ここ数日は、マイクロトフが居ませんでしたから。一人で飲む酒にも飽きたのですよ」 そう言って笑うカミューは常と変わらないように見える。受け答えもしっかりとしていて、思い違いだったかと内心で首を捻った。 カミューは、こちらが躍起になって飲ませても顔色一つ変えた姿を見たことがなかった。そんな姿になまじ慣れていた所為もあったのだろう。平気そうな顔で『大丈夫です』と笑うカミューの姿に惑わされていたらしい。 ほろ酔い気分で機嫌の良いフリックがカミューに幾杯も重ねさせるに至り、その白い面を酒精にほの赤く染める頃になって漸くビクトールはカミューが酔っているらしいことに気が付いた。 「おい…?大丈夫か、飲みすぎてるんじゃ…」 ビクトールが彼の手にした杯を取り上げると同時に、へたりとカミューの身体が卓に沈んだ。さすがにフリックも驚いて自身の杯を卓に置いた。 「カミュー!?大丈夫か!?ビクトール!俺、飲ませすぎたかも…」 フリックがカミューの身体を小さく揺すると、ぴくりと反応が返った。とろりとした琥珀の瞳を覗かせ、上半身を起こす。 「ほら、立てるか?肩貸してやるから、部屋まで戻れ。大丈夫か?」 ビクトールが彼の身体を支えて立たせれば、少々覚束ないながらも立ち上がる。なんとか部屋までは送ってやれそうか、とほっとすれば、カミューがふらりとビクトールに倒れこんだ。 「…こんなに酔ってるカミューなんて、初めて見たぜ。…カミューでも、酔うんだな」 ほろ酔い気分もどうやら吹っ飛んだらしいフリックがしみじみと言うのに、ビクトールは苦笑する。 「確かにな。どうも、今日は調子が悪かったみてぇだがな」 胸に倒れこんでいたカミューの腰を抱き、彼のしなやかで剣士にしては細身の身体を支える。これは役得と思えば良いんだろうな、などと思っていると、カミューが突然身を捩って暴れだした。 腕を突っぱねられて、腕の拘束が緩んだところをまろぶように抜け出したカミューは、一人では覚束ない足取りの所為で倒れこみそうになっていた。 それを傍らのフリックが慌てて支える。 「ビクトール!カミューが嫌がってるじゃないか!お前、何したんだよ!?」 「あのなぁ!俺は何もしてなかっただろうが!」 「俺が部屋まで連れて行くよ。…ほら、カミュー…カミュー…?」 暫くはフリックに大人しく支えられていたカミューが、またしてもその腕を振り解いた。幼げにふるふると頭を振って、違う、と呟く。 「…違う…?あ、カミュー!?」 フリックの手を離れたカミューは、酒場を見回すと、ふらりと出て行こうとする。彼を一人にしておける訳はなく、ビクトールが慌ててカミューを羽交い絞める。 当然ながら抜け出そうと暴れるカミューに、大きく溜息をつく。酒癖が悪いとは知らなかったぜ、と呟くと、カミューがぴたりと暴れるのを止めた。酒場内もざわめきを静めていて、ビクトールは顔を上げた。 「すみません、ビクトール殿」 その声に、羽交い絞めた腕を無意識に緩めれば、カミューはするりと彼に向けて伸ばされた腕の中に納まった。 その胸に頬を摺り寄せ、ひどく嬉しそうな、幸せそうな笑みを零して、そのまま眠りに意識を手放したのだろう、すとんと崩れた身体を、難なく逞しい腕が受け止める。 「…飲み過ぎだ、カミュー」 呆れた響きを伴った声音が呟き、自然な動きで、眠ってしまったカミューを横抱きに抱えあげた。 「カミューがご迷惑をおかけした。お騒がせして申し訳ない」 折り目正しく酒場内に一礼を施すと、ビクトールとフリックにも謝罪を告げて頭を下げた。 酒場を出て行く青い騎士装束を呆然と見送ったビクトールに、フリックが呟く。 「マイクロトフ、帰って来てたんだな。びっくりした」 「…こっちに戻って、着替えもせずに来たみてぇだな。…助かったけど、よ…」 歯切れ悪くがしがしと頭を掻くビクトールのぐったりとした雰囲気を酒場内の皆も踏襲していたが、一人フリックだけがけろりとしている。 「そうか、マイクロトフを探してたのか。マイクロトフの傍が、一番安全だよなぁ」 「……お前のその鈍さも、ある意味あっぱれだな…」 「なんだよ、そりゃ!」 馬鹿にしやがって、と不機嫌なフリックを適当に宥めながら、大きく溜息を吐く。 カミューを酔わせるのは止めておこう、としみじみと思う。 「毎度、こんな盛大なのろけを見せられることになっちゃ、面倒見きれねぇしな…」 その心からの呟きに、一同深く、頷き返した。 さて、そんな盛大なのろけを見せてのけたカミューはといえば、彼ら二人の自室である寝台の上、マイクロトフの青い騎士装束を上掛け代わりに被せられ、至極幸福な眠りについていた。 マイクロトフは、自身が酒場の皆にのろけられていたなどという事実に全く気が付いていなかったが、それを教えてやろうなどという酔狂はどこにもおらず、それを知ることはなかったという。 ただ、後日になってフリックから話を聞いたカミューが、盛大に顔を赤らめて言い訳をしたとかしないとか…。
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