雪合戦




 午前の執務終了と同時にマイクロトフの執務室に現れたカミューは、何処か機嫌が良かった。今朝は寒いと言って聞かないカミューを無理に起こした所為で、機嫌も悪かったのだが、それが直るにこしたことはない。誘われるままに共の昼食を摂り、今は昨晩からの降雪で真っ白になった城内の中庭に来ていた。
 小さなベンチが備えられたそこは、花の時期ともなれば、目前の花壇が色とりどりに彩られる様を見ることが出来た。日当たりも良く、静かで良い場所であるが、流石に冬場に訪れようと思う者は居ないようで、そこにはカミューとマイクロトフ以外の人影はなかった。
 天気は良く、降り注ぐ陽も温かだった。昼食後の暫しの時を過ごすには、そう悪くも無いと思われた。カミューもそう思って誘ってくれたのだろう。マイクロトフはそう思い、ベンチで休むべくカミューを促そうとした。
 しかし、背後を振り返ったマイクロトフは、カミューの姿を捉える前に、目の前を真っ白に染める事となった。



 むっつりと眉根を寄せたマイクロトフを見て、カミューが可笑しそうに笑い声をたてている。
「……カミュー…」
 顔にかかった雪を払いながら、声を低めて諌めても、一向に堪えた様子はない。それどころか、再び屈みこんで雪をかき集め始めていた。マイクロトフが、先ほど振り返り様に食らわされた雪玉を、また作ろうとしているのだ。
「…カミュー、まさか、この為にわざわざ中庭まで来たのか?」
「そうだよ」
 マイクロトフの質問に、悪びれもせずにあっさりと肯定してみせたカミューは、手にした雪玉を再び投げてきた。先程は不意打ちであったから顔面に当てられるという無様な姿を晒したが、投げる相手と雪玉の姿を視認出来れば避けることは難しくない。
 飛んできた雪玉はまたしても顔を狙ったものだった。少し首を捻って避ければ、カミューがあからさまにつまらなそうな顔をした。赤騎士の頂点に立つ男のすることではないし、相応しい態度でもない。マイクロトフは大きく肩を落として溜息を吐いた。自分とて青を統べる者である。彼の思惑に乗るつもりはなかったが、雪玉に当たるわけにはいかず、かといってそれを避ける行為とて、結局は彼の思惑の内にしかならないだろう。
「カミュー、こんな子供の遊びに興じる真似は止めろ。示しがつかんだろう」
 投げられた雪玉を、今度は避けずに平手で叩き落す。カミューは忠告を聞こうという気が全くないようだ。幾つか目の雪玉をまたせっせと作り始めている。
「良いじゃないか、たまには。雪合戦にはちょうど良い日和だよ?」
 にっこりと楽しそうに笑ったカミューに一瞬瞳を奪われたマイクロトフは、すかさず投げつけられた雪玉をまたしても顔に直撃で当てられ、思わず頭を抱えた。呆れと共に、沸々と理不尽な扱いに対する怒りも湧いてくる。
「カミュー…!」
 睨みながら顔を上げれば、乗り気になったと判断されたらしい。カミューの面に挑発の笑みが浮かんだ。
「私に見事雪玉を当てられたら、お前の言うことを一つ聞こう。逆に私が一つも当たらなければ、お前の秘蔵ワインを貰う…どうだい?」
「…わかった。受けて立とう」
 こうなれば、受けるも受けないも同じこと。ならば、勝ち報酬があったほうが良いに決まっていた。



 そう広くない中庭に、雪玉が飛び始めた。お互いに本気の球速で投げ合っているものの、所詮は雪の玉だ。剣戟の速さに慣れた目では、避けることは容易い。それは、2・3個玉を投げ合った時点でお互いに気付いていた。如何に相手に隙を作らせるかが勝負だった。
「マイクロトフ、聞いたぞ」
「何をだ」
 隙を作らせようとの魂胆だろう。カミューが話しかけてきた。相手の術中にはまらないようにと、注意深くカミューの様子を伺いながら答えた。カミューの表情がすっと翳り、瞳が伏せられるのと同じくして紡がれた台詞に、罠とわかっていた筈であるのに、その身を強張らせてしまう。
 当然のように飛んできた雪玉を避けられたのは、ほぼ反射によるものだった。当て損ねるとは思っていなかったのか、小さく舌を鳴らすカミューに、しかし、雪玉のことなど吹き飛んでしまったマイクロトフが語気を荒げた。
『結婚するんだって?』
 カミューの台詞はこうだった。これが出任せならばそれ程の動揺もなかったが、最近不本意に広まっていた噂があったのだ。それがこの、『結婚する』というものだった。
「あれは、ただの噂だ!俺は結婚などせん!」
「…しかし、その娘のところに足しげく通っていると…」
 しおらしい様子で俯くカミューの行動は、次なる隙を生む為の計算であったが、マイクロトフは気付かないままに、誤解を解くことに必死になっていた。
「交易に関する交渉に通っていたのであって、その娘のところに…ぶはっ!!」
 三度目の雪玉を顔面に受け、しかも話している途中であったから口の中にまで雪が入り込んだ。頭を犬の様に一振りして雪を払うマイクロトフの先で、カミューは腹を抱えて笑っていた。他団とはいえ、団長の私が知らない筈はないだろう、と途切れ途切れに言っては吹き出している。マイクロトフは眉根に皺を刻んだまま、無言で笑うカミューに雪玉を投げつけた。笑うことに夢中だったカミューは避ける暇もなかった。
 雪玉は確かに当たり、壊れて落ちた。しかし、カミューではなく、当たったのは赤い騎士の青年にだった。突然の闖入者に驚いて瞳を瞠れば、その青年以外にも、いつの間にか騎士達が集まり始めていた。
「ありがとう、助かったよ」
 笑いを収めたカミューが、部下である男を労えば、あっという間に赤い騎士達による障壁がカミューの前に出来上がっていた。誰も彼も、憧れの団長の褒め言葉が欲しいのだ。
「お前、それは卑怯ではないか!」
 マイクロトフの至極当然の抗議にも動じる事無く、カミューがマイクロトフの背後に向けて手招いた。
「お前も使うと良い。ほら」
 振り返れば、そこには数人の青騎士が居た。街の警邏から戻った者達のようだったが、防寒コートを脱ぎ、騎士服の腕を捲くってやる気満々の様子を見せていた。
「これも訓練の一環と思えば良いよ。さぁ、遠慮なく攻撃してくると良い。…私に当てられればの話だけれどね」
 がっちりと赤騎士団長を護る壁と化した赤騎士達と、雪玉を両手に構え青騎士団長の脇に控える青騎士達と、すっかり大掛かりになったそれは、まさに雪の『合戦』へと変貌していた。



 人口密度の上がった広場は、雪玉の飛び交う戦場となっていた。こうなれば意地でも勝たねばと奮闘する両者は、うっすらと汗をかくまでに白熱している。涼しい顔をしているのは、後ろで指示を出すだけとなっているカミューくらいだろうか。如何に相手の隙をつくかと如何に護るかで、それぞれ戦略を立てる程の熱中ぷりは、周囲に見物人まで作っての大騒ぎとなっていた。
 決着がつかねば終わらないと思われたその合戦に制止の声がかかったのは、カミューの指揮する赤騎士達の反撃によって、マイクロトフ達青騎士側が、劣勢に陥っていた時だった。
「両者、そこまで!」
 割って入った鋭い声に、皆の手が一様に止まった。いち早くカミューが両手を挙げ、降参の合図をする。マイクロトフも相手を見て取ってすぐ、雪玉を持った腕を下ろした。
「お二方とも、このまま午後の執務を放棄されるおつもりはあるまいな」
 言われて、漸く随分と時間が経っている事に気が付いた。懐中時計を確認すれば、執務開始の時刻まであと数分のところだった。マイクロトフは、慌てて周囲の騎士達に任に就くよう促した。カミューの方も、同じように部下達を解放していた。
「見つかるなら、やっぱり貴方にだと思ってました」
「中庭で騒ぎになっている…と伝えに来た者がおりましたからな」
 にっこり笑うカミューの様子からするに、自分から報告するように言っていたのかもしれなかった。この雪合戦を制したのは、赤の副長であったからだ。
「…お騒がせして、申し訳ない」
 マイクロトフが深く頭を下げれば、副長に頭を上げるよう促された。その口元には苦笑いが刻まれている。
「良いのです。最初に焚き付けたのは、カミュー様なのでしょうからな」
「私ばかりが悪者かい?」
 少しばかり拗ねた口調のカミューに、しかし副長は扱いをよく心得ているらしい。動じる事無く、柔らかに諌めた。
「遊ばれるのは結構ですが、執務を疎かにされては困ります。よく心得て頂きたい。…着替える時間は大目にみましょう。そのままで執務室に来られては困りますからな。少し遅れる旨を、青騎士団の方にも伝えておきましょう」
 壮年の騎士は、少し目元の皺を緩め、二人の背を軽く叩いてその場を去った。二人共に、後程説教を貰うことになろうが、随分甘やかされている、と思う。それが、彼らからの親愛によるものと知っているから、嬉しいばかりだ。
 猫のように両腕を上げ、うんと背筋を伸ばしたカミューが、さて、と切り出す。
「動いて暖まったは良いけれど、このままにしていたら風邪を引く。シャワーを浴びて、それからだな」
「そんな悠長にしている時間などないだろう」
「大丈夫。それだけの時間を、彼なら考慮に入れてくれているさ」
 自信満々に言い切るからにはそうなのだろうと一応の納得はして、しかし、カミューのことは別にしても、己は時間を守りたかった。マイクロトフがそう言えば、カミューはにっこり笑って言った。
「手が随分冷えてしまってね。こんな風ではシャワーを上手く使えないかもしれない。だから、お前にも付き合って貰わないと困るのさ」
 最初から最後まで我侭尽くしのカミューに呆れなくもなかったが、最後の我侭だけは恋人の特権として、喜んで付き合うことにした。

 引き分けのまま持ち越しになった勝負は、後日再戦となったわけだが、その勝敗を知る者は居ない。
 ただ、マイクロトフが新たなワインを買い求める姿が目撃されたようだ。 







かなんからのリクで雪合戦する騎士でした。
微妙にリクから外れた気がします…。
最初は拍手用だったんですが、長くなったのでこちらで。