紅水晶の瞳




 生まれたウォプタルの子供は真っ白だった。皮膚の下に流れる血管が透けて、病的な白さをしていた。白子症という、先天的に色素が欠乏している個体だと言う。
 子供を取り上げた獣医を含め、出産に立ち会った全ての者が悲しげだった。白子症の個体は身体が弱く、長く生きられぬからだ。
 名馬と誉れ高い皇の騎馬、その待望の子でもあったから、悲しみはより深いだろう。
「綺麗だな」
 鈴を鳴らしたような声がした。悲しみとは無縁の、生まれた子を愛しむ声。
 薄雲に隠れていた月が現れ、馬房に優しい光が満ちた。小さな掌が、生まれたばかりの子供をそっと撫でる。
 そうして彼女に最初の祝福を与えたのが、まだ幼いオボロだった。



 白い霧もまだ晴れぬ早朝に、ベナウィは馬房を訪れた。寝所からオボロが居なくなったと聞いたからだった。予想通り、馬房には座り込む小さな人影があった。
「……オボロ様、またこちらにお出ででしたか」
 びくっと肩を揺らして立ち上がったオボロは、声をかけたのがベナウィと知ってほっとした顔をした。他の者に見つかれば、すぐに連れ戻されるからだ。
「側に居たいんだ」
 オボロは再び座り込むと、横たわる白いウォプタルの子供を撫でた。それに応えるように開いたウォプタルの瞼の下から、紅水晶の色をした瞳が現れた。宝石のように煌く瞳には、未だ生きようとする命の息吹がある。
 将の間からは、安楽死させた方が良いとの意見も出たようだ。皇としては、己の愛馬の待望の子であり、オボロも懐いているということもあって、何とか面倒を看てやりたいらしい。
 しかし、それも時間の問題であろう。安楽死にしろ寿命にしろ、その命が尽きる時が来る。一番悲しむのは、オボロだ。皇よりも、誰よりも愛情を注ぐ彼が、死を迎える白いウォプタルさえ凌駕して。
「その子供は、長く生きられません。貴方が気にかける必要は無い」
「誰がそう決めたっ!!」
 オボロの瞳に射抜かれ、ベナウィは身を硬くした。年端も行かぬ幼子に射竦められるなど屈辱以外の何物でも無い筈だが、その時にはそう思わなかった。
「シシェは、生きたいと強く想っている」
 オボロの瞳がふっと揺らいだ。そのまま視線が地に落ちた。
「……でも、俺には側に居る事しか出来ないんだ……」
 小さな背中が震えている。泣いているのだろう。彼は、大人達の手によって、この子供が殺されるかもしれないということを、知っているのだ。
 その小さな体を抱き締めてあげることが出来れば良かった。けれど、ベナウィにはその資格が無かった。
「シシェとは、その者の名ですか」
 ベナウィの問いは唐突だったかもしれない。オボロは涙を拭う事も忘れて瞳を瞠った。
「……そうだ。俺がつけた」
「そうですか。……良い名です」
 オボロの真っ直ぐな瞳がベナウィを見つめている。何を聞かされるのか警戒するように。
「白という色は、尊い色とされている事をご存知ですか」
「……知っている。大神の御姿と同じ色だからだろう」
「そうです。大神に限らず、白を纏う者には不思議な力が宿る事がある。ケナシコウルペの辺境の地にも、ムティカパと呼ばれる白い獣が祀られています」
 オボロの傍らに膝をつくと、シシェと名のついた子に手を伸ばした。シシェは嫌がることもなく、差し出した掌に鼻をすり寄せた。
「……シシェにそのような力が宿っているとは思えませんが、貴方がシシェを見捨てないと言うのであれば、大神の加護を得られるかもしれません」
「本当に、そう思うか」
「はい。私は嘘は言いません」
  確証の無い慰めを口にするようなことを、ベナウィはしない。だからそれは、数少ない彼の願いだったのかもしれない。
 ベナウィの言葉を信じたのか、慰めと取ったのか、彼の瞳にもう涙は無かった。
「有難う。俺は、諦めない。だから、シシェも諦めるな」
 シシェの小さな頭を、やはり小さな腕で抱き締めて、彼は振り向きもせず駆けていった。
 その日の朝議でオボロの嘆願と、ベナウィの助言、それらが功を奏した為か、彼女に安楽死させることはしないと皇が決めた。



 シシェは、幾度かの死の淵を乗り越えて、小柄ながらも機動力に長け、乗り手の意思を確実に汲める良い軍馬へと成長する。けれど、その成長をオボロが見届ける事は出来なかった。
 ケナシコウルペの皇都が炎に焼かれた日、永遠とも思われる別れが訪れたからだった。
「シシェは私が預かります。旅に耐え得るほど、彼女の身は強くありません」
 背負ったオボロの手がベナウィの肩を強く掴んだ。共に生きたかった筈だが、オボロは彼女のより確実な生を望んだ。
「……シシェを、頼む」
「御意」
 城外へと続く隠し通路の入り口で、ベナウィはオボロを背から降ろした。落ち延びる皇族だった者達とその家臣の元へと行く前に、眼前に広がる炎を映したオボロの瞳がベナウィを射抜く。
「俺は諦めない。お前も諦めるな」
 答える事を許さないまま、彼は振り返りもせずに駆けて去った。
 ベナウィはこの時、己の魂の皇を、永遠とも思われる長い刻まで失ったのだ。







シシェは雌(捏造)
シシェはアルビノ(捏造)
オボロの祖父の愛馬の子(捏造)
シシェと名付けたのはオボロ(捏造)
本来ならオボロに譲られる筈だった(捏造)
紅水晶(捏造)という宝石を使った薬で九死に一生を得た(捏造)←最後のネタは割愛(かぶせすぎたから)
シシェの瞳は紅いと良い(希望)でもたぶん、焦茶。
ベナウィが大切なのはオボロとオボロの国だけ。
そんなベナウィに沢山の愛情を教えてくれるのがオボロ、というのがどうも私のベナオボらしい。
愛情に薄い子は大抵受けになるんだけどさー 笑