「ハクオロさーん!」 エルルゥの呼ぶ声で外に出ると、珍しい人物が来訪していた。 「お久しぶりです、ハクオロ様」 頭を下げられ、敬称付きで呼ばれ、もうそんな礼など必要無いと言うのに、聞き分ける気は無いようだ。 「ベナウィか。元気そうだな」 「はい、お陰を持ちまして。ハクオロ様もご健勝で何よりです」 彼がここを訪れることは稀である。政から解放され、辺境の小さな集落、ヤマユラと呼ばれる地で暮らすハクオロ達の、穏やかな生活を護る為だ。それでも時折、知恵を借りに来る事がある。しかし今日はそういった用ではないようだ。エルルゥの明るい顔を見れば分かる。 「ハクオロさん、オボロさん達が、もうすぐ帰って来るそうですよ」 「ほぉ、漸く戻る気になったか」 ベナウィの微笑はいつもより明るいように見えた。ずっと待ち続けたのだ、嬉しいだろう。 「はい、そのようです。彼が、近い内には、と言っていましたので」 「オボロから直接聞いたのか」 「はい。まみえたのは、一瞬でしたが」 「そうか!良かったな、ベナウィ」 「はい」 はにかんだような微笑を浮かべるベナウィは、出会った頃と比べれば、嘘のように表情を露に出来るようになった。この穏やかな笑みをもたらしたのは、やはりオボロなのだろう。 「この間ハクオロさんに会いに来た時は、オボロさん、そんなこと一言も言ってくれなかったのに。ベナウィさんに、最初に言いたかったんですね」 「エ、エルルゥ!」 「はい?」 ベナウィの笑みに負けない晴れやかな笑顔は、この場合逆効果だった。ベナウィの機嫌が急降下する。 「……オボロは、こちらに来たのですか」 「え?はい。たまに顔を見せに来てくれていますから。他国の珍しいお薬とか、お土産とか持ってきてくれるんですよ。ね、ハクオロさん」 大きな溜息を一つ。流石のエルルゥも、自分が何かしでかしたことには気付いたようだ。 「ハクオロさん?あの、私……」 「……あぁ、大丈夫だ。エルルゥが悪い訳じゃない。間が悪かっただけだ」 「……たびたび、来ていたのですか」 俯いてしまったベナウィは、怒っている、というよりは傷付いたようだ。それはそうだろう。 「ベナウィ、あのな、オボロは」 「突然の訪問、失礼致しました。そろそろ時間ですので、これで」 ハクオロの言葉を聞く気は無いのか、頭を下げると踵を返した。引き止める間も無く、姿は遠ざかる。再び溜息を吐いても、これは許されるだろう。 「……まぁ、もうすぐ戻ると言うんだ。直接訳を聞いた方が良いだろう」 「ハクオロさん、私、ベナウィさんに何か気に障ることをしちゃったんでしょうか……」 「いいや、違うよ。オボロはな、ベナウィにだけ一度も会いに行っていなかったんだ。それを知って、拗ねただけだ」 「え、ベナウィさんにだけって……どうしてですか?城には、近付けないから?」 「それもあるだろうが、幾らでも会う方法はある。あえて、しなかったのさ」 「……私には、分かりません。会いたい人に会えるなら、会えば良いじゃないですか。……会いたくても、会えない人だって、いるんですから」 今の穏やかな暮らしは、会いたくても会えなくなった人達の上に在るものだ。それを、忘れてはいけないけれど、いつまでも悲しむ必要も、無い。 「……そうだな、その通りだ」 エルルゥの頭を撫でると、子供扱いしないで下さいっ!と叱られた。それでも彼女は嬉しそうだ。 ふにゃ、とむずがる声がした。エルルゥが、背に負った赤子を優しくあやす。 「ミコト、起きちゃったみたい。お腹が空いてきたのかな」 「何か手伝おうか」 「あ、いえ、大丈夫ですよ」 本格的にぐずりだした娘を連れて、彼女は中へと入る。その後をゆっくり追うハクオロを、温かな風が撫でた。 『……会えば、旅に戻れないかもしれない』 引き止められるから、という意味ではない。それは、オボロにとってベナウィが、それ程大切な存在だと言う事だ。國を空けてまですると決めた旅を、止めても良いと、思える程に。 「……馬鹿な義弟だ」 愛おしさに瞳を細め、そんな悪態を吐いた。
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