皇の帰還




 空気の流れが止まった。ことりと筆を置く。灯りは卓に置かれた一つ。それでも今宵は満月だったから、支障は無かった。この時までは。
「何者です」
 ベナウィの鋭い誰何に、闇が動いた。夜を切り取った窓枠の内、ふいに人影が現れた。月明かりを背にしたそれは、影そのもの。
「お久しぶりです、ベナウィ様」
 影が発した声に、聞き覚えがあった。ベナウィが知るそれよりだいぶ低くなってはいるが、間違いはないだろう。いつの間にか、屋根から逆さに顔を覗かせる影も増えていた。
「ドリィとグラァ、ですね」
「「はい」」
 彼らの姿を照らそうと、蜀台を手にし、かざした。仄かな明かりに照らされた彼らは、あの頃のようなあどけなさを無くした、凛々しい青年の顔をしている。顔立ちこそ綺麗だが、少女に間違われる事は無いだろう。
 あれから、3年の刻が過ぎている。成長期の彼らだ、見目も中身も成長は早い。
「何か、ありましたか」
 彼らは定期的に世情の報せを持ちに来る。木簡だけ届く事もあれば、重要な事柄に関しては、どちらかが直接伝えに来る事もある。しかし、こうして姿を見せたのは初めてのことだった。余程の事情だろうかと、まず、そう思ったのだ。
 双子がくすりと笑う。
「「いいえ。たまたま近くを通ったので、ご挨拶に、伺いました」」
「……どうしてこのような真似を。昼間に、正面からお越しなさい」
 ベナウィの溜息は、双子によって一笑に付された。
「また門を、潜らせて頂けますか?」
「若様を、お引止めせずに?」
 息を呑む。双子の瞳が悪戯げに細められた。
「「無理でしょう?」」
 ベナウィは弾かれるように露台へと身を躍らせた。双子の視線を追って顔を上げる。
 藍を重ねた夜の闇、それを斜めに切り取る屋根の、その上。かかる満月はその時だけ雲を帯び、そこに在る姿を曇らせる。朧月を肴に、晩酌でも楽しむかのように佇む姿だけが、切り絵のようにそこに在る。
「……戻って、いたのですか」
 笑う気配を感じた気がした。
「少し、寄っただけだ」
 ベナウィの中を虚脱が襲う。待つと決めた。けれど、期待を抱かずにはおれない。未だ弱い己の心に腹も立つ。
「……近い内には……」
 雲が流れ、月明かりが世界に戻る。精悍な青年の姿は、あの頃の面影を残しながらも既に大人の男の物だった。理知と落ち着きを伴う表情は、ハクオロの、いや、皇だった彼の祖父に似ている。
 姿を見たのは一瞬。雲は再び月を隠し、彼らの姿はもう無かった。まるで、夢でも見ていたように。
 耳に、彼の言葉が蘇る。近い内には、彼は確かにそう言った。
「……待っていて、構わないのですね。貴方の、ご帰還を」
 露台に膝を付き、頭を垂れる。
「お待ちしています、我が皇よ」
 満月がベナウィを照らす。必ず、帰る。続く言葉が月夜の闇を震わせ、聞こえた気がした。







ED後旅に出て更に三年後のお話です。
そういえば、ユズハの子供はどうしたんだろう?笑
ドリグラ二人とも出しちゃった。
オボロが抱っこして連れていたかな?
うん、きっと、そうなんだよ 笑