政務中のハクオロを訪ねて足を運んだオボロは、執務控えの間からの不審な物音に気付き足を止めた。ばらばらと木簡の落ちる音だ。無意識に刀の柄に手をかけて、しかし、聴こえた声に手を離した。んーとかうーとかいう、幼い少女の声だ。 扉を開けると、ちらばった木簡の真ん中にアルルゥが座っていた。 「オボロ」 こちらを見上げた少女の傍らに膝を付く。逃げ出したりしない所を見ると、悪戯をしていた訳では無い様だ。 「アルルゥ、こんな所でどうかしたのか」 「おとーさん、待ってる」 「兄者を?」 アルルゥはふいと視線を外すと、記帳前の木簡を、開いたり丸めたり転がしたり、そんな一人遊びを始めた。 「兄者は政務が……仕事が終わると言っていたか?」 「ん。もうすぐって、言った」 「そうか」 アルルゥの隣りに腰を落ち着けると、少女は不審そうな目を向けた。オボロは少しだけ眉を下げて笑った。 「俺も、一緒に待たせて貰っても良いか」 「……オボロも?」 「あぁ。駄目か?」 アルルゥは幾度か瞬きを繰り返し、少しだけ笑みを浮べた。 「んーん。いいよ」 少女の尻尾が機嫌良さそうに揺れた。 大きな溜息と共に筆を置いた。うず高く積まれていた木簡が漸く片付いたのだ。 「お疲れ様です、聖上」 「あぁ、ベナウィもご苦労だったな」 「いえ」 肩を回し、背を伸ばして体を解して寛ぐハクオロの傍らで、ベナウィは相変わらず涼しい顔をしている。決済の済んだ木簡を纏め、すっと立ち上がった。 「私は各部署まで木簡を持ちに参ります。聖上はどうなされますか」 「私はアルルゥを待たせているんでな。約束があるんだ」 「そうですか。では、私は先に失礼致します」 「すまないな」 ベナウィが執務の間から消え、ハクオロはもう一度大きく息を吐いた。政務中だと、彼がそこに居るというだけで気が疲れるのは、もう仕方が無い。 「さて、待たせてしまったかな」 もうすぐ終わる、と言ってアルルゥを待たせたままなのだ。ゆっくりしている場合でも無いと、立ち上がる。 ふと、どこからか声が聴こえた。政務中には気付けないだろう、微かなものだ。それはアルルゥを待たせている控えの間から聞こえている。控えの間に続く扉に寄ると、声は歌声だったことに気付く。アルルゥと、もう一人。 『……はちみつ♪もろろ♪他にも沢山!ヘヘイ♪』 『きゃほう♪』 陽気な歌を歌っているのは、声からするとオボロだ。アルルゥが、上機嫌で合いの手を入れている。人見知りする子だが、不思議とオボロには懐いていた。それにしても、珍しいことだったが。 楽しそうな二人の邪魔をするのが勿体無くて、歌が止むのを待ってから扉を開いた。 「あにじゃっ……!」 「おとーさんっ!」 「待たせてしまって、すまなかったな」 先程までの歌を聴かれた事が恥ずかしかったのか、こちらを見上げるオボロの頬が赤くなった。アルルゥは、オボロの膝の上に身体を伸べていたらしい。転がったままこちらに手を伸ばした。 傍らに屈むと、オボロの膝からアルルゥを抱き取った。ハクオロにぎゅーっと抱きつくアルルゥは、待たされたとは思えない程機嫌が良い。オボロが傍に居てくれたおかげだろう。 「一緒に居てやってくれて有難う、オボロ」 オボロの頬が、また赤く染まった。そうして笑うと、歳よりも子供っぽく見える。 「いや、俺も一人で待たずに済んだからな」 「オボロ、ありがと」 「あぁ。兄者にいっぱい、遊んで貰え」 「ん!」 アルルゥの頭をオボロの手が優しく撫でる。オボロが、妹を持つ兄だったことをふいに思い出した。ハクオロの中では、可愛い弟分という意識がある所為か、印象に薄いのだ。 「それじゃあ、兄者。俺はもう行く」 オボロは、用が終わったとばかりに背を向けた。それを慌てて引き止める。 「おい、オボロ。私に用があったんじゃ無いのか?」 「またにする」 再度引き止める前に、オボロは行ってしまった。緊急の用であれば、ここで待つような事も無い。そうは言っても、用も無くここに来る事も無いだろうに。 「……やれやれ。借りが出来てしまったかな」 ハクオロは裾を引かれてアルルゥを見た。 「摂ったはちみつ、オボロにもあげる」 「あぁ、そうだな。一緒にはちみつを持って行こうか」 「んっ!」
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