ベナウィが触れると、決まって身を強張らせた。逃げる事もしないが、警戒を解くことも無く、いつまでも心を許さぬ野の獣のように。 ただ、その表情は嫌悪ではなく、困惑を浮かべる。懐に入れた者を疑わない。それは彼の最大の長所だ。その内に、己も入っている事を知っている。それでも。 彼に、与えたいものは、違う。 笑顔と、安らぎと、優しさを。 そして、幸福を。 己には、何一つ与える事の出来ないそれらを、いつも、いつでも求め続けて、掴む事の叶わぬ朧月を、ただ、見上げている。 そこに在ることだけで、何故満足出来ないのか。触れて残る指先の温もり、それだけで、どうして。 届かぬ月を求めることは、愚かでしょうか。成り得ぬ太陽を望む事は、傲慢でしょうか。 そうだとしても、貴方が諦めるなと言うのであれば。 私は愚かでも良い。傲慢でも良い。 貴方は、それすら許し、愛しみ、抱擁の内に入れるのでしょうから。 緊張に震える指先の冷たさを、彼は困惑の表情で受け止める。幾度も繰り返すそれは、ただ、また繰り返すだけ。指先にほんの少し彼の体温を移し、そっと手を引こうとした。 触れる彼の面に、ふわりと温かな笑顔が浮かぶ。困惑はそのままにして。 「冷たい、手だ」 弾かれるように退けようとした手に、彼の指が絡む。 「……いつも、そうだったな」 オボロの体温が、ゆっくりとベナウィの冷えた手を温めていく。 「……まだ、届かないか」 「…………分かり、ません。近いのか、遠いのかすらも」 唐突に彼が己の手を解放した。温もりに満ちた手を、左手で無意識に覆う。その熱を、逃さないように。 「……案外、近くにあるかもしれんぞ。……望みや、願いというものは」 通り過ぎようとする彼の腕を掴んで引き止めた。 オボロが振り向き、ベナウィを見る。 掴んだ掌には、掴む事叶わぬ筈の朧月が、確かに、ある。
|