緊縛の誓い




 発光石の光さえも失われた暗い廊下を密やかに歩く。微かに防具が立てる音だけが周囲に響いた。
 叛乱の鎮圧から戻ったばかりで、クロウの身は土埃に塗れ、血臭を漂わせている。身を清めようにも、今は水場を使うには憚られる、深夜を軽く越えた時刻だった。部屋に戻って身体を拭う位が精々で、疲れてもいた。身形よりも、眠りを摂りたいという気持ちもある。
 だからクロウは己の部屋へと続く回廊を、ただひたすら歩んでいた。ふと、壁に寄りかかる人影を見る。影はすいっと優美な動きで壁から身を離した。影が形作るものだけで、それが誰かを分からしめる程、クロウは彼と共にあった。
「……大将……」
「……ご苦労様です、クロウ」
 お互いに数歩歩みを寄せれば、薄闇の中で顔が見えた。常よりもその顔は青白く見える。それでも彼の美しさは損なわれず、むしろその様は、何かしらの艶を帯びてさえ見える。そう思うのは、クロウが彼をそういう目で見ている証拠でもあり、心身が疲れていて、自制が効かない所為もあるのかもしれない。
「……無事、ですね」
「…勿論、無事ですぜ」
 クロウの顔を見て、ほっとしたように笑みを見せた。待っていた、のだろうか、己の事を。もしそうなら、あらぬ期待を抱いてしまいそうだった。
「疲れたでしょう。ゆっくり休みなさい。明日の報告も午後からで構いません」
「ういっス」
 事務的な会話に常の返事を返せば、本当に会話はそれだけで、彼はそのままクロウの横を抜け、去ろうとした。思わず、その腕を掴んでいた。ここに居た理由を、彼の口から聞いてみたくなったのだ。報告のことなど、本題でないことは知っている。
「大将、用はそれだけですかい」
「……えぇ、そうです。私の用はもう、済みました」
 クロウの行動が珍しかった所為だろう、彼は少しだけ柳眉を寄せた。しかし、捕らえた腕は、振り払われてはいない。
「それは…報告のことじゃないでしょうや。本当の用は何です、大将」
 彼の瞳が少しだけ瞠られた。その後、長い睫毛と共に伏せられた。暫くの沈黙。クロウは彼の腕を放した。答えてはくれないと、思ったからだ。
「……すいやせん、可笑しな事を言いやした。大将も早く眠って下せぇ」
 今度はクロウが彼の横を抜けた。彼に引き止められる事はなかった。それで、己の考えが自惚れだったかもしれないと思った。時折見せられる感情は、主従の間のそれより、少しだけ違うものだと、そう、最近は思うようになったが、やはりそうではないのかもしれない。
 数歩を歩み、背後の気配が動かない事に気付いた。振り向けば、彼はこちらを見ていた。ぽつりと立つ姿は、常の覇気を帯びた彼とは思えぬほど、頼りなく見えた。
 反射で身体は動いていた。気付いた時には彼を腕の中に抱き締めていた。硬く身を竦ませる彼は、けれど、その腕を振り払いはしない。
「……誓いやす。必ず大将の元に生きて還ると。…大神、ウィツァルネミテアよ、俺の誓いを照覧あれ」
 弾かれたように彼に突き放された。怒っている、いや、泣いているようでもある。
「…貴方は、何を馬鹿な…」
「馬鹿な男が己の上官に立てた、勝手な誓いです。大将は、気にする必要はありやせん。ただ、俺が、誓いたかった、それだけですから」
「…………っ!」
「…無礼を、お許し下さい」
 深く頭を下げて、背を向けた。今度はもう足を止める事も、振り返る事もしなかった。立ち尽くす彼の気配を感じる。後悔と、それよりも大きな歓喜が胸を高鳴らせている。
 國と民にしか執着を持たない彼を、縛った。誓いとは、己を縛り、相手をも縛るものだ。そして、彼はクロウの誓いに縛られたのだ。
 彼の内に宿るものが、絶望なのか歓喜なのか、クロウには分からない。どちらでもいいと思う自分は、酷い男だと思う。
 己の存在が、こうして彼を不安で苛むのだとしたら、その考えが自惚れでないのだとしたら。この誓いで、彼の不安が癒されるのであれば。クロウにとっては容易い誓いだ。命さえ、とうの昔に彼に差し出しているのだから。

「……クロウ、貴方は、馬鹿です…。何故…自ら縛られようとするのですか…。……私一人を置いて、貴方だけが罪を背負うというのなら…」

 ベナウィの慟哭は、クロウには届かない。暗い廊下に、ただひっそりと響き、闇に吸い込まれる。

「…全ての罰を私に。…大神、ウィツァルネミテアよ……」







Tさんへの誕生日用クロベナ。
また薄暗い片想い同士な話…。何でだろう…。