「幼い子供を差し出して、自分だけ助かろうとした母親には、相応しい死に様だね。そうだろう?」 「……違う。お前の母親は、お前を庇ってお亡くなりになったんだ」 「優しいヒエン。でも、僕は真実を知っているんだからね。そんな嘘は、不必要さ」 村に着いた時、そこは想像し得る地獄(ディネボクシリ)よりも恐ろしかった。 瞳に映る真っ赤な色は、炎と血溜り。 鼻につく錆の臭いは、凶刃と血臭。 耳に聞こえるのは、生きたいと願う者の悲鳴と、死を目前にした者の叫び。 そして、耳障りな蹂躙者の笑い声。 ヒエンが辿り着いた時、ハウエンクアは死を目前にした者だった。血塗れで彼の身に覆い被さっているのは、既にこの世(ツァタリィル)の者では無くなった、彼の母だった。その肉塊と化してしまった身が、それでも幾つかの凶刃から彼を護っていた。 「ねぇ、マァマ、助けて……。怖いよ、死ぬのは嫌だ……。マァマ、助けてマァマ……!どうして?助けてよ、何か答えてよ……マァマ!!」 「……ハウ、エンクア」 祖父から武術を教わり始めたばかりのヒエンに、何が出来る筈も無く、友である彼を、蹂躙者から庇う勇気も無かった。 それだけの、強さなど、無かった。 必死に母に縋っても、もう母は彼を救えない。何も言う事は出来ない。それでも彼は、救いを求め続ける。 ヒエンの横を一陣の風が通り抜けた。気付いた時には、蹂躙者は血溜まりの中に居た。頭から血を浴びて真っ赤になった友は、生きていた。彼を死の凶刃から救ったのは、ヒエンの祖父、ゲンジマルだった。 「……間に合わなんだか……」 呟きは、ハウエンクアに届いた。笑い声がした。蹂躙者が発するものと同じ、笑い声が。 「あは、あはははは……!死んで当然だろう?助けを求める僕を無視して、僕を差し出し、自分だけ助かろうとしようなんて……そんな、女はさぁ」 「ハウエンクア!お主、何と言う事を!!」 「……違うって言うのかい?ねぇ、見ていたの?間に合わなかった貴方に、何が解る……?そうやって、ヒエンの親も救えなかった、名ばかりの英雄に……!!」 祖父は、何も言わなかった。それは、肯定と同じ事だった。 ハウエンクアの笑い声が響いた。動く者の居ない赤い地獄での、慟哭だった。 「他人に救いを求めるなんて、愚かな事さ。実の母ですら、僕を救わない。僕を救うのは、僕だけ。その為に必要なのは、強さだけ。そうじゃないかい?ねぇ?ヒエン」 「……何度でも言う、ハウエンクア。お前の母は、お前を愛し、庇って、そうして、お亡くなりになられたんだ」 彼の秀麗な面が近付いた。ふわりと揺れる髪、黒曜石のような美しい濡れ羽色だったそれは、母の死によって、氷のような白銀に色を変えた。 「……ふぅん、それが本当だとしたら、何故お前がそれを知っている……?見ていたのかい?……友の母が、殺される様を。その友さえも、見殺しにして?弱い者が殺されようとする瞬間は、楽しかったかい?ヒエン」 「…………っ!!」 答えられずに居るヒエンは、あの時の祖父と同じ、それは、肯定と受け取られる。近付いた唇が、哀れみを込めて囁く。 「……ねぇ、ヒエン。僕は、ヒエンが好きだよ。どうしてだか解るかい?」 「……解る、筈が無い」 「そうかい?簡単な事だよ。お前の目は、僕と同じ色をしているからさ」 否定も肯定も許される事は無く、それらは彼の唇に塞がれた。
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