*シンジュ。12巻ネタ 扉を開けるより前に、いると気付いた。いや、気付かせるために、そのマゴイを隠そうともしていないだけだ。ただ、この部屋周辺にだけ気配を留めているのは流石だ。 開け放たれた窓からの風に吹かれ、薄い絹がふわりふわりと踊っている。その向こう、薄布を通したバルコニーに腰をかけて、彼はいた。 夜空をぼんやりと眺めている。月明りが、その陶器のような白い面を人形のように浮かび上がらせている。人形でないとわかるのは、その瞳。禍々しくも美しい、赤い月のような色。 ピィ…とかすかに鳴くルフの姿は、珍しく、黒ばかりではなかった。 「……何をしに来た、ジュダル」 月か星か、それともルフの流れを見ていたのか、赤い瞳がこちらを見た。表情は無愛想だが、機嫌が悪いというわけでもなさそうだ。何かをしに来たという風でもなかった。いうなれば…。 「ん、ちょっと寄っただけ」 軽やかにバルコニーから降りると室内に入り込み、天蓋の寝台にごろりと無造作に寝ころんだ。手には包みを持っていた。 「土産、買いに来たんだけどさー、買って帰るだけじゃつまんないだろ」 寝台に腰かける。ジュダルはこちらを見もしない。しつこく構いにくるかと思えば、こういうときも多い。 マギだからだろうか。かの少年もそうだが、内を図れない者は、彼にとっては脅威の一つである。 「なぁ、これ、ウチにも売ってくれよ」 「何だ?」 「アバレヤリイカの燻製。イカじゃなくてもいーんだけど。アイツら結構気に入ったみたいでさ。交易品としてケントーしてくんねぇ?」 「……煌帝国の神官殿としての、正式な申し出か?」 「あ〜…別にどっちでも。俺は興味ねぇし。必要ならテキトーにやらせとくけど」 「………では、考慮に入れておこう」 「ん」 くあ〜と、猫のような欠伸をして、無防備に寝ころんでいる。意図が見えない。 「それだけのために、ここに来たのか」 「あ〜〜?こんなのはついでだよついで」 「……まさかと思うが……寝に来たのか?…譲らんぞ」 土産を放り出して、ジュダルは眠そうだ。というより、眠りに半分以上足を突っ込んでいる。 「……い〜じゃん……すっげ、広いし………」 「朝お前が横に寝ていたら、俺のいろいろなことが困る」 「おー、お前が困るんなら、それ、面白れーじゃん……」 やはり猫のように丸まって、うとうとし始めた。こうして見ると、あどけない普通の少年にしか見えないというのに…。 手を伸ばした。あちこちに奔放に跳ねる髪をそっと撫でる。 ばっと、赤い瞳に射抜かれた。ふり払われた訳ではないが、反射的に腕を引いた。 どうやら今晩は、そちらの気もなかったようだ。己にもその気はなかった筈だが、ジュダルはそうは取らなかったらしい。 彼の華奢な指先がシンドバッドに向けて伸ばされた。掌が、心臓の上にぴたりと当てられ、ぎくりと体がこわばった。 「お前の半分が、俺を呼び、俺に惹かれてるんだよ。もう半分は、俺を拒んでるけどな」 白い指が名残惜しむように胸元から離れ、彼の姿は寝台からバルコニーへと移っていた。 月明りに照らされた、黒くて綺麗な悪魔が囁く。 「全部、染まっちまえば楽なのにな、シンドバッド王よ」 ふっとこぼれた笑みは、思いのほか優しいものだった。 「でも、そういうとこが、俺は好きだぜ、バカ殿」 じゃ〜な〜! 暢気そうな声と共に、彼の気配は消えた。追うことは出来ないだろうし、追う理由もなかった。それでも、逃げられた、という気がしてならない。 「……おまえこそ……」 脳裏に再生されたのは、悲鳴のような言葉。 『俺だって、ふつうに生きたかった!!』 『本心なんじゃないのか、ジュダル』 言葉にしようとして、止めた。
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