夏祭りでこの神社に来た時は、彼以外の友人達と一緒だった。今は、二人きりだ。あの夏の日には、彼とこんな風に再びここに来ることなど、考えもしなかった。 それ程大きくない神社だが、年越しを待つ人々の数はそれなりだった。手元の懐中時計を覗き込む。短針と長針が重なるまで、あと少し。気付けば、人々のざわめきに混じり、鐘の音も聞こえた。マフラーに埋めた顎を少しだけ上げて人並みの向こうを覗き見る。白い息が一瞬ふわりと視界を遮った。 「……大丈夫ですか?」 声をかけられ、少しだけ横に顔を傾ける。手袋に包まれた指でマフラーを下げてこちらを見る彼の息も白い。 「……思ったより、人が多い。気をつけて下さい」 「…このくらい、満員電車に比べれば大したことないだろ」 「人の波と言うものは、案外怖いものですよ、オボロ」 言い返そうと口を開くが、何も言えずに閉じた。人並みを睨むように見つめる彼の瞳が、真剣そのものだったからだ。オボロは参拝などの行事に積極的な方ではない。だから、年越しの時刻に、このような場所に来た事は無い。元より、ユズハを置いて外出する事が稀だったのだ。彼は、どうやら初めてではないらしい。ならば、彼の言葉の方に重みがあった。 「……オボロ、こちらに」 腕を引かれ、参道から外れた辺りに連れてこられた。人の数が減った分、呼吸も楽になった気がした。思ったよりも人混みにまいっていたのかもしれない。彼の腕がオボロを引き寄せた。彼のコートの胸元に頬が触れる。その近さに、少しだけ体温が上がった気がする。 「……時計を。もう、すぐです」 言われて、時計を取り出した。掌の上、並べ置かれた懐中時計の針は、綺麗に同じ刻を刻む。 カチ・カチ・カチ…… 人々の歓声と拍手にはっとする。手の中の針は、重なっていた。顔を上げれば、彼がこちらを見て微笑んでいた。 「明けましておめでとうございます、オボロ」 「……あ、あぁ……おめでとう」 ふわりと白い息が重なり合う。オボロが新しい年に初めて見た光景、それは、ベナウィの、子供のような綺麗な笑顔だった。 彼がかさりと開いた紙。そこには『凶』の文字が大きく描かれていた。彼の眉間に小さく皺が寄る。本当にあるものなのだな、と、それは心の中だけで呟くに留めた。溜息が白く長く吐き出された。おみくじを引こうと誘ったのは自分だった。あまり信じていない風だったが、それでもこの結果に喜びはしないだろう。 「……そのくじ、私が頂いても構いませんか」 手袋に包まれた彼の手を取りおみくじを取り上げると、不機嫌そうに見上げられた。同情されたと思ったのだろう。そうではない、と、どう伝えるべきかを考え、困った表情で眉を下げる。 手の中の紙きれ、それを、彼の手に握らせた。 「…大吉…」 彼の表情が一層悪くなった。突き返される前に、誤解を解く必要があった。 「……私の運を、預かって頂けませんか」 「……どういう意味だ」 「大した意味はありませんが…折角引いた良い運なら、貴方に預かっていて頂きたいと、そう思っただけですよ」 考え込むように、彼が俯いて無言になった。 「……お前の運を…俺に預けて、それでお前はいいのか」 「……オボロ……?」 「お前は、俺の悪い運を持って行って、それで…満足するつもりなのか!?」 オボロの瞳が濡れて見えた。知らず浮かんだのは笑みだった。オボロの瞳が剣を帯びた。 「……貴方は、優しいのですね」 「茶化すな!」 「貴方の悪い運を自分に…そんな自己犠牲の精神は、あいにく私にはありません。…それに、大吉であれ凶であれ、これは神からの戒め…警告であって、大吉だからと浮かれて過ごしては、良い運を悪い運へと転じさせることにもなるのですよ。逆も然り。悪い運を、良い運に転じさせることも出来ます」 オボロが目を丸くしている。どうやらこういった話は知らなかったようだ。ベナウィも、それ程詳しいわけではないのだが。 「……また後日、ここに参りに来ましょう。…境内に、おみくじを結ぶ場所があるのは、見たことがありますね?」 「あ、あぁ。悪い運なら、結んでいくといいと…聞いたことはある」 「えぇ、そうです。神との『縁』を結ぶ為だそうです。悪い運でも戒めとして持ち歩き、後日吉に転じるようにと願って結ぶのも良いそうですから」 「…そう、なのか…」 誤魔化せただろうか、と、オボロの表情を見て思う。自己犠牲の精神は無い、と言った。それは正しいけれど。 「……また、一緒に来て頂けますか?オボロ」 笑って見せれば、それが次のデートの誘いであると、気付いたらしい。寒さではなく、ぱっと彼の頬が赤く染まる。 「……それが、慣わしだというなら…仕方ないからなっ」 「……はい、ありがとうございます」 彼が幸せになる為であれば、己の身などどうなっても良かった。彼に悪運がついたというのなら、それを代わりに背負うのとて、ベナウィにとっては贖罪であり、至福。 自己犠牲ではない、ただの、欲だ。 彼とこうして共にあれる幸福は、ベナウィにとっての吉である。しかし、彼にとっては……。 (……共に幸福であれる道を。その為の戒め…なのかもしれませんね)
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