近所の神社では、毎年夏に、ウィツアルネミテア神に豊作を祈願する祭りが行われているそうだ。規模は大きいようで、沢山の屋台が連なり、陽気なお囃子の音が、保護者役である筈のハクオロ自身の心も浮き立たせた。 「おばあちゃんが無理を言ってすみません」 薄い桃色の地に赤い花の散りばめられた浴衣を着たエルルゥが、申し訳無さそうに眉を下げた。 「いいや。構わないさ。私も祭りは久しぶりだし、楽しいよ」 「そうですか?それならいいんですけど……」 団扇で少しだけ顔を隠して頬を染める姿は愛らしい。微笑ましさに笑みを誘われていると、浴衣の裾を大きく引かれた。 「おと〜さんっ!アルルゥ、あれ、食べる」 青い地に赤い金魚の浴衣を着たアルルゥだ。屋台からの良い香りに早速誘われたらしい。指差されているのは、真っ赤な林檎にたっぷりとした甘い水飴のかかったりんご飴だ。甘いものの好きなアルルゥが真っ先に目を付けるのも頷ける。 「美味しそう!ね、ね、おじさま、奢って〜!」 こちらは濃紺に桃色や紫の蝶をあしらった浴衣だ。ウルトリィに着付けて貰ったそうだ。腕をがっちりと組まれてぐいぐいと引かれてしまえば、買わない訳にもいかないだろう。 「ユズっち、手、離しちゃダメ」 「はい」 アルルゥにしっかりと手を握られているのは、ユズハだ。人ごみの中に連れ出すことを、兄であるオボロに散々渋られたが、最終的にはユズハの願いを叶える事にしたらしい。なんだかんだと言うものの、オボロがユズハの望みを聞き入れなかったことは無い。それだけ、大切にしている妹なのだ。 彼女も浴衣を着ていた。黒地に紫の桔梗という、少々大人っぽい柄の浴衣である。 「……仕方が無いな。買ってやるのは一人一つだぞ。それ以外は、自分の小遣いで買うんだ」 「ん、分かった」 「一つかぁ…。じゃあ、皆で違うものを買って貰って…皆で一緒に食べるのはどう?」 「……そういう悪知恵だけはよく働くな、全く…」 あちこちの屋台を値踏みしに、彼女等が傍を離れる。やれやれと溜息を吐いて歩を止めた。少しだけ振り向けば、一人だけ仲間外れにされたエルルゥがふてくされた顔をしていた。思わず笑みが零れる。 「エルルゥ。エルルゥにも何か買ってあげよう」 手を差し出せば、びっくりした顔をしたものの、嬉しそうな笑顔で手に手を重ねた。 少し前を歩くオボロは、少々落ち着きが無い。ハクオロに預けてきたユズハが気になるのだろう。ハクオロが付いているのなら、と了承はしたものの、彼の妹は身体が弱い。今まではずっと床に伏せっていたと聞いているし、看病の為にオボロ自身が入学を一年遅らせるほどなのだ。心配するのも仕方が無いだろう。 「何だよ、若大将。祭りの場でそんな不景気な顔してなさんなって」 「……分かっているが…ユズハが…」 「俺らみたいなのが後ろからぞろぞろついて行ったりしたら、その大事な妹さんも迷惑だろうぜ」 「お前等まで一緒について来る必要はないだろうっ!」 「まぁまぁ!総大将の誘いだぜ?断るわけにゃ、いかんだろ?」 「それは…そうだが…」 オボロは、クロウの巧みな言葉に誤魔化されつつある。誘われたというには御幣があった。元々はエルルゥ等幾人かの女性徒だけが行く筈だったのだ。それが、妹に付いて行くと言ってきかなかったオボロに、そのやり取りを傍で聞いていたクロウとベナウィが便乗させて貰った、という具合だった。そうして誘われでもしていなければ、恐らくベナウィが祭りに来る事はなかっただろう。 暫くやり取りをしていた二人だったが、屋台からの食べ物の香りに誘われたのか、ふらりとそちらを覗き見し始めた。早速とばかりにクロウは幾つか買ったらしく、手にしたものを見せに来た。 「大将、これ、大将に。お代はいりやせんぜ。日頃世話になってる礼ってことで」 渡されたのは湯気に鰹節が踊るたこ焼きだった。こうして誰かに奢られる事に慣れていないベナウィは、困惑の目でクロウを見る。 「大した値段じゃないんで、そんな顔せず食べて下さいよ。でなきゃ買った甲斐がないんで」 「……そう、ですね。すみません。では、ありがたく頂きます」 にかっと笑うクロウ本人の手には大きな広島焼き。彼らしい、腹持ちしそうなものだった。ひょいとオボロが顔を出した。彼の手にはクレープがあった。顔に似合わず…と言うと失礼かもしれないが、彼は甘いものが好きらしい。 「クロウ、それ、旨そうだな」 「そうだろ?屋台モンにしちゃ、イイ線いくと思うぜ、これは」 「一口くれよ」 透明な器に刺さった箸をひょいと取り、当たり前のようにそれに手を伸ばす。あまりにも自然なその態度に、クロウも一瞬反応が遅れたものの、さっと器を遠ざけた。 「はぁ!?何言ってんだ、お前」 「……何だよ。一口くれって言っただけだろ」 「そういうもんは女子共のやるような事だろうが!」 「そうなのか?……俺はそうやって少しだけ喰わせて貰うのが好きなんだが…そんなに変か?」 首を傾げるオボロ本人にとっては、そう奇異な行動であるつもりはないらしい。クロウもその様子に気が削がれたのか、珍しく一度は遠ざけたそれを彼に差し出した。 「ったく、仕方ねぇな。ほんの少しなら喰わしてやるよ。ほんの少しだぞ!?」 「分かってるよ」 以前、共に昼食を摂った時の失態を冒すまいと、警戒しているらしいが、その警戒を他所に、オボロは本当に少しだけを口にして、大人しく箸を返した。 「ん、ありがとな」 「お、おぅ…」 「俺のクレープ、お前にも一口やろうか」 「いらねぇよ、そんな甘ったるい食いもんは」 クレープを齧りながら、オボロはまた別のものを物色し始める。クロウも同様に、広島焼きをがつがつかきこみ、もぐもぐしながら周囲をぐるりと見ている。ベナウィも手にしたたこ焼きを一つ、口に入れた。中は火傷しない程度にほどよく冷め、とろりとした生地が何とも美味しかった。 戻ってきたオボロの手には、今度は綿菓子が握られていた。クロウはそれとさほど間を置かずに、ホットドッグを手に戻った。そうして、先程の会話が繰り返される。 「一口くれ」 「またかよ。お前さん、いつもそうやって人の物を貰い喰いしてんのかい?」 「あぁ、そうだが、そんなにおかしなことか?」 「普通はそんなに図々しくねぇもんだろうが。一度ならまだしも、二度目は無ぇ!」 「何だよ、相変わらず懐の狭い奴だな!」 「何とでも言え。ほれ、喰えるもんなら、喰って見やがれってんだ」 オボロより背が高いことを武器に、ホットドッグを高々と掲げて勝ち誇っている。それをぴょんぴょん跳ねて奪おうとしているオボロも、どちらも幼い子供のようだ。常ならば大人気ないと叱責の一つもする所だが、ベナウィは、そうしてはしゃぎあえる二人を見て、羨ましいと思っていた。ベナウィでは、それなりの付き合いのあるクロウとも、勿論オボロとも、恐らく、誰ともそうしたやり取りは出来ないだろう。 クロウのホットドッグを諦めたのか、オボロが肩で大きく息を吐いた。そうして、つかつかとこちらにやって来た。 「ベナウィのも、くれ」 「……え……」 一瞬瞳を瞠ったのは、己にも声をかけると思っていなかった所為だ。沈黙を否定と取ったのか、オボロが視線を逸らす。 「……無理にとは言わない。嫌なら、いい」 「いいえ、嫌ではありません。貴方が良いのであれば…どうぞ」 慌ててたこ焼きの箱を差し出す。先程一つを食べたきりで、まだ数には余裕があった。無言で一つを口にしたオボロは、暫くもごもごとそれを咀嚼し、にこっと笑った。 「旨いな、これ。ありがとな!」 「……いえ……」 その笑顔に、また瞳を瞠る。オボロが己に無邪気に笑顔を向ける事など無いからだった。お祭りの空気が、彼を素直で陽気にさせているのだろうか。しかし、それは己もそうかもしれない。胸が、どきどきと高鳴っているのは、きっと、己も祭りを楽しいと思い始めているからだ。 「…この綿菓子、食べるか?たこ焼きの礼だ」 オボロが綿菓子を差し出した。薄いピンクをしたそれは、ベナウィが一度も口にしたことの無い菓子であり、そもそも、人様の食べ物を少しだけ貰うなどということも、はしたないと教わってきた彼には経験が無かった。 困惑のまま無言でいては、またオボロに不審がられることだろう。 「…あの、頂いて、良いのですか?」 「あぁ。そう言ってるじゃないか。……ほら、口開けろ」 無造作に毟られた綿菓子一口分。言われるがままに口を開ければ、舌に甘い味が広がり、綿は一瞬で溶けて消えた。軽く口元を押さえるその口中には、暫しその甘さが残った。不思議な食感に驚いた顔が、不機嫌にでも見えたのか、オボロが少しだけ気遣わしげに見ていた。 「悪い、甘いもの、嫌いだったか?」 「……いえ……食べた事がありませんでしたので…少し、食感に驚いただけです」 「大将、こんな屋台のチープな食いもんなんざ、食ってなさそうっスもんねぇ」 「そうなのか。なら、良い機会だし、食いたいもん買って食ってみたらどうだ?」 「そんな事言って大将に買わせて、お前さんはおこぼれを頂戴しようって寸法なんだろ。せこいんだよ」 「何だとぉ〜〜!!」 「何だぁ!?違うってぇのかよ。あぁ!?」 また睨み合いの喧嘩を始める二人を、もうベナウィは止めなかった。ただ、笑って見ていた。やっと、彼等と同じ目線で祭りを楽しめそうだった。 待ち合わせ場所に現れたオボロは、あれ程別行動を渋っていたのが嘘のように、以外にも祭りを楽しめたらしい。あのベナウィでさえ、手にりんご飴など握って微笑んでいるくらいだ。皆、祭りが楽しかったのだろう。そう思うと、付き添った甲斐もあったというものだ。 「ユズハ!」 「……お兄さま」 「ユズハ、大丈夫だったか?人ごみで疲れたんじゃないか?どこか、人とぶつかって痣など作ってはいないか?」 「もう、オボロ兄さまったら、カミュ達のコト、全然信用してくれてないの!?」 「あ、と、すまん。そういう訳じゃないが…心配だったんだ」 「お兄さま、ユズハは…とっても、楽しかったです」 「ユズっちのこと、アルルゥとカミュちで、ちゃんと守った」 「そうか、楽しかったか…!…アルルゥもカミュも、ありがとう」 「ん!」 「えへへ、そうやってあらたまれると、ちょっと照れちゃうよ…」 オボロがこちらを振り向いた。エルルゥがぱっと手を離す。後ろに両手を隠し、もじもじするが、オボロはそんなエルルゥには気付いていないようだ。 「兄者、ありがとう。俺では…悔しいが、こんなにユズハを楽しませてやれなかったと思う」 「いいや。お前達の先生として、この位の事、なんということはないさ。皆が祭りを楽しめたのなら、良かった」 皆が一様に笑顔を見せた。彼等のこの笑顔を守ること、それがハクオロの望みなのだ。祭りの力を借りたものだが、こうして見られたのは僥倖だろう。 「さぁ、子供は家に帰る時間だ。家に帰るまでは、気を抜くんじゃないぞ」 オボロがユズハの手を取り、エルルゥがアルルゥの、カミュはベナウィとクロウの手を取った。ハクオロは空いているエルルゥの手を取る。 祭りの余韻に浸りながら、一抹の寂寥と共に辿る家路。それでもそこには、互いの温もりと共に、幸福があった。
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