さんさんと輝く太陽、真っ白な砂浜、そして青い空と海…。ハクオロは海岸の砂浜に敷かれたシートの上に座っている。勿論、ビーチパラソルの影の下だ。 ここは、ウルトリィ姉妹のプライベートビーチだ。宿泊場所は、勿論彼女等の別荘である。夏休みの思い出を作りたいというカミュの願いで、ハクオロ含む、うたわれ学園の学生数名が、この場に招待されているのだ。 浪打際で歓声を上げているのは、アルルゥにカミュ。そして、ユズハ。パラソル片手のユズハは、初めての海らしい。 身体の弱いユズハを陽の下に晒す事を気にして様子を伺っているオボロは、クロウとベナウィとのビーチバレーに身が入っていない様子だ。 視線を横に向ければ、同じくビーチパラソルの下、こちらはビーチベットに身を伸べ、トロピカルジュースを優雅に飲むウルトリィにカルラ。トウカはカルラにからかわれ、ビーチボール片手に、アルルゥ達を横目で見ている。混ざりたいのだろうが、声をかける機会を逸したようだ。 そして、冷たい麦茶片手にハクオロとゆったりとした時間を共有するのは、すぐ隣に座るエルルゥ。 「……夏も、いいものだ……」 天を仰いで、呟いた。 「……冷たいです……」 「大丈夫?ユズっち。足、滑らないように気をつけてね」 「…はい、大丈夫です…」 「ユズっち、こっち!」 片手には日除けのパラソルを手にし、空いた片手をカミュに取って貰いながら、アルルゥの声のする方へ、一歩ずつ砂を踏んで歩く。打ち寄せる波と引いていく波、その波に合わせて、さらさらと砂が足の周囲を流れる感覚がくすぐったい。 「…ふふ、砂がくすぐったい…」 「そうなんだ〜!くすぐったいけど、面白いでしょ?!」 「はい…」 海水は、ユズハのふくらはぎの辺りでゆらゆらしている。ユズハが海の中で転ぶ事を心配してなのか、引かれた手はそこで止まった。もう少し、入ってみたい気がした。少しだけと言わず、海の中を、泳いでみたかった。 今は無理、と心の中で思う。それでも、誰かの手を借りることで、いつか叶うのではないかとの期待もある。ユズハはその場に座ってみた。腰に巻いたパレオが水面を漂う。カミュの手が離れ、ぱしゃりと彼女も座ったのが音でわかった。 掌に海の水を掬う。感触は水と変わらないが、海の潮の香りが、それを海水だとユズハに教えている。片手ではすぐ零れていく海水を、少しだけ舐めてみた。話に聞いていた通り、塩辛い。それを自分で体験出来ることが、とても嬉しい。 「あ、ユズっち、塩辛いよ!?」 「はい、塩辛かったです」 「……う〜〜、からい…」 「あ、アルちゃんまで真似しちゃダメだよぉ!」 「…本当に、塩の味がしました…」 二人が笑った気配がした。 「うん!そうでしょ!?」 「ん!」 「よぉ〜し!ね、ユズっち。ちょっとだけね、びっくりするかもしれないけど、いいかな?」 「……はい、何ですか…?」 「うん、お顔をね、掌で少し隠しておいてね?」 「…はい」 「…じゃ、いくよ!アルちゃんもいい!?」 「んっ!」 「……せーのっ!」 オボロの耳に、微かな悲鳴が聞こえた。反射的に身体がそちらへ向いた。 「あ、おい!若大将!」 クロウの声に、飛んできたビーチボールを横目に見ながら叩き落す。その次の瞬間にはもう走っていた。視線の少し先には、波打ち際で座り込むユズハの姿があった。持っていた日傘は、彼女の周囲で波に浚われながら円を描いている。 「ユズハ!!」 オボロの叫び声に、カミュとアルルゥが顔を上げた。カミュが不安げな表情をしている。オボロの心臓が一気に早鐘を打った。 「…オボロ兄様…」 ユズハに駆け寄り落ちた日傘をさしかけた。背に手を添え、発作でも起こしたかと危惧したが、どうも様子が違う。 「……ユズハ……?」 「……くすっ、本当、びっくりした……」 ユズハはくすくすと楽しそうに声を出して笑っていた。カミュがユズハの顔を覗きこむ。 「ご、ゴメンね、ユズっち…大丈夫?」 「はい。…とっても冷たくて…とっても楽しい……」 その言葉に、二人がほっとした顔で笑った。 「ユズハ、身体は」 「ユズハは、大丈夫です。……少し、びっくりしただけ」 ユズハは楽しそうに笑っている。その頬は薄紅に染まり、生き生きとして見えた。 「…お前達、何をしたんだ」 「あ、あはは…。……あのね、怒らないで欲しいんだけど……。ちょっとだけ、海の水をかけたの。上から水滴が、ばーって降ってくるの、気持ちがいいでしょ?だからね、ユズっちにもしてあげたいなって…」 カミュがおずおずとオボロを見る。怒られると思っている顔だ。アルルゥは、不機嫌そうである。怒られる理由がないと言いたいのだろう。自然、溜息が零れた。それには安堵も含まれている。 「……ユズハが楽しいと言うんじゃ…俺はお前等に何も言えん」 「…お兄さま、怒ったのですか…?」 ユズハが悲しそうな表情をこちらに向けた。そんな顔をされて、そうだなどと、言える筈がない。 「……いいや、心配しただけだ。…不要のな」 ユズハに日傘を差し出す。それを受け取ったユズハは立ち上がった。 「アルちゃん、カミュちゃん。ユズハも…お水をかけて、いいですか…?」 ぱっと二人の顔が笑顔で輝いた。 「うん!もっちろん!ユズっちがやる気なら、カミュも負けないよ〜!」 「アルルゥも、負けない!」 カミュの最初の一撃が、アルルゥとユズハと、そしてオボロにも届いた。キラキラ陽に輝く水滴が、宝石のように煌いて周囲を零れ落ちる。肌を叩く海水の雨は、確かに心地良かった。 ユズハの、彼女達の楽しそうな笑い声が海を渡る。 妹が、兄の手を離れていくようで、少しだけ寂しいような、嬉しいような気がした。 「…ユズハちゃん、どうかしたんでしょうか…」 ユズハが波打ち際に座り込んでいる。体調を崩したのかもしれないと、エルルゥは腰を浮かせた。彼女の側にはすでにオボロが居て、様子を見ているようだった。 「…いや、大丈夫だろう。オボロのあの様子だと、何でもなかったようだぞ。……あぁ、ほら」 ハクオロの言う通りに見守っていれば、少女三人、オボロも巻き込んで、楽しそうに水の掛け合いが始まっていた。ユズハのきらきらした笑顔も見える。アルルゥもカミュも楽しそうだった。 「…ふぅ…良かった…」 「エルルゥは、混ざらなくていいのかい?私のことは気にせずに、行って来るといい。せっかくの海だ。泳がなければ損じゃないか?」 ハクオロが穏やかな表情でこちらを見た。腰を落ち着けたエルルゥは、その視線が恥ずかしくて、つい俯いてしまった。頬が赤くなっている気がする。 「わ、わたしは…いいんです…。こうして…ハクオロさんの側に、居たいんです」 「…エルルゥ…」 「……ハクオロさん…」 ハクオロの真剣な眼差しが、エルルゥを見つめた。どきどきと胸が高鳴っている。一つの傘の下、二人きりのシチュエーションはエルルゥを期待させるに十分すぎるロケーションだった。 「……もしかして、泳げないのか?そうならそうと、言ってくれれば……」 ハクオロの優しげな微笑みも、この時ばかりは逆効果だった。折角の甘いムードが遠のき、エルルゥは頬をぷぅと膨らませた。 「ち、違いますっ!〜〜〜もう!ハクオロさんの、ばかっ…!!」 「は?え?!お、おい、エルルゥ!?」 裸足で砂浜に降りた。熱い砂が足の裏を焼くけれど、砂の感触は心地良かった。振り返って、手を差し出した。 「ハクオロさん!一緒に泳ぎませんか?折角の、海なんですから!」 陽光の下に輝くエルルゥの笑顔に、ハクオロの胸がどきりと跳ねたのだが、エルルゥが知るのはもう少し、先の事になりそうだった。 「…可愛いにゃあ…某も混ざりたい…」 少女達が歓声を上げて水をかけあっている。身体の弱いユズハの、あんなに明るい笑顔はなかなか見られるものではなく、カルラとウルトリィも瞳を細めてそれを見ていた。 「行って来ればよろしいのではなくて?」 「えぇ。行っていらしたら如何です?」 「あ、う…しかし……某が混ざっては…折角楽しそうにしているあの子達に、水を差すようで…」 カルラが瞳を細めてそっと笑った。 「あら、ちゃんと分かっているのですわね。お邪魔だってこと」 「まぁ、カルラ…そのような言い方では、トウカ様が可哀想ではありませんか」 「うぅ〜〜〜〜……」 ウルトリィの言葉も、微妙にトウカをかばいきれていない気がするのは、己だけだろうかと、うなだれる。 「…あら、ハクオロ様に、エルルゥ様…」 「二人で泳ぐつもりかしら」 カルラが、とん、とトロピカルジュースをテーブルに置いた。ウルトリィがくすりと笑う。 「カルラ、程ほどになさい」 「さぁ?どうかしら」 笑ったカルラの瞳は猫のように細められ、唇には楽しそうな笑みが刻まれていた。 「か、カルラ殿?!どちらに…」 「泳ぎに行きますの。…貴方もご一緒します?」 ウルトリィとカルラの間で視線を彷徨わせる。ウルトリィはひらひらと手を振っていた。カルラは既に浜辺へと向かっている。 「あ、待ってくれ、そ、某も!」 ここでただ見ていても仕方が無いことは分かっている。あわよくば、あの三人に声をかけて、共にボールを追いかけられぬものかと思いながら、トウカも海に向かって駆け出した。 少女達の元から、ようやくオボロが戻ってきた。彼の妹君の身には、危惧する何事もなかったようで安堵する。 「よぉ!やっと解放されたかい。あのまま一緒に遊んでいても、良かったんだぜ?」 「ユズハのことを考えればそうしたいが、俺は邪魔者なんでな」 「へぇ…そうかい。物分りのいい兄ちゃん、やってるじゃねぇか」 クロウががしがしと彼の頭を掻き回した。彼なりの慰め、なのだろうが、オボロにはうまく通じていないようだ。 「このっ…!何しやがるっ!」 腕を邪険に振り払われ、クロウも少々頭にきたのか、二人の空気が険悪になった。 「慰めてやったってぇのに、その態度か!?全く、小さいねぇ!」 「な、何だとぉぉぉ〜〜!!」 「何だぁ?やるか!?」 溜息を一つ。この二人は何かと言うと、こうして子供っぽい喧嘩を繰り返す。かと思えば、妙に気が合い仲も良いのだから、それが不思議でもあり、羨ましくも思う。 ビーチボールを手に、クロウはすでにトスではなく、ぶつける態勢を取り、オボロの方も、それを受け止め、ぶつけ返す心積もりでいるのだろう、腰を落としてクロウの動きを伺っている。さて、どうしたものかと思案しようすれば、救いの声がかかった。 「皆様、スイカをお持ちしました。沢山ありますので、皆でスイカ割りなど、如何です?」 幾人かの使用人を引き連れて、ムントがスイカを持ってきたようだ。5・6個はあるだろうか。食べ盛りの皆には丁度いいおやつになるだろう。二人の目と興味も、スイカへと移ったようだ。 「大将!スイカですよ、スイカ!旨そうっスね」 「スイカか。久しぶりに食べるな」 「えぇ、美味しそうですね。私も、久しぶりに食べます」 子供のような笑顔を見せる二人に、漸くほっと一息つけた気がして、ベナウィも小さく笑った。 「よっしゃぁ!んじゃ、スイカ割りで決着つけようじゃねぇか」 「望むところだ。後で吠え面かくんじゃないぞ!」 「上等!」 「…全く、貴方達は…」 「すいか〜〜!」 「わ、美味しそう〜!ユズっち、スイカは好き?」 「…はい」 「良かった!ね、スイカ割りだって!面白そうだよ」 「…ユズっち、お姉ちゃんのトコ、行く」 「あ、うん、そうだね。もう日陰に入った方がいいよ」 「はい、ありがとうございます…」 「スイカ割りですか。面白そうですね。カルラ殿も如何です」 「私、簡単に勝てる勝負に興味はありませんの」 「やってみなければ、分かりませぬ!」 「ふふ、カルラらしいですね」 「ハクオロさん、スイカ割りをするみたいですよ」 「どれ…あぁ、本当だ。皆が集まっているな。我々も戻るとしようか」 「はい!」 それぞれに張り切って望んだスイカ割りは、結局、オボロもクロウも惜しくも失敗、トウカは目を回す為の回転の時点でふらふら、スイカを割る所まで行かず。結局はエルルゥ達が切り分けたものを食べることとなった。 スイカの後は、バーベキュー。買出しに出されていた双子、ドリィとグラァも交えてのそれは、騒がしくも楽しい夕食だった。 途中から買出しに出されていた双子は、ここぞとばかりにオボロに肉や野菜を勧めては、オボロに一人で食える!などとあしらわれ、それをまたクロウがからかい、オボロの肉を奪っての、いつもの風景。 アルルゥはエルルゥに世話を焼かれながらも、カミュやユズハと、楽しそうに焼けるサツマイモを見ている。 カルラとウルトリィ、トウカは、そんな後輩達を眺めながら、ソーダ水など楽しんでいる。 私はといえば、更にそんな彼等を、ベナウィと見ていた。火を扱うからにはそれなりに危険を伴う。監視役、のようなものだった。 「…いい月が出ている」 「…は…、月、ですか?」 「あぁ。これだけ明るければ、月明かりだけで海岸も歩けそうじゃないか?」 「…どうでしょう」 「綺麗だぞ。あまり遅い時間では困るが…夜の散歩もいいものだ。ベナウィも少しは羽を伸ばしたらどうだ」 「羽なら随分伸ばせましたよ」 「…それなら、いいがな」 笑って見せれば、ベナウィは少し困った顔をしていた。ハクオロの言いたいことが、いまいち理解しきれなかったのかもしれない。 「…ゆっくりでも、いいさ。前に進むのなら、な」 エルルゥが麦茶のポットを持ってこちらに来る。笑顔の彼女の頬は赤い。楽しそうなその笑顔が、ハクオロも幸せな気持ちにさせてくれる。 前に進むのなら。それは、自分に言い聞かせたかった言葉だったかもしれない。
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