「トリック・オア・トリート」 ベナウィを見た瞬間つかつかと真顔で近付いてきたオボロの、第一声がそれだった。思いもしなかった内容に瞳を瞠った。 「…あの、オボロ…。それは、どういう…」 困惑した顔のベナウィに、オボロが訝しげに首を傾げた。 「知らないのか?」 「いえ、知っています」 「なら、トリック・オア・トリート」 オボロはまた繰り返しそう言った。掌を差し出され、それをひらひらと動かされた。ベナウィからの菓子を待っているらしいが、ベナウィは菓子など持ってはいないし、そもそも校内に菓子類は持ち込み禁止となっている。 いや、正確にはなっていた、だろうか。理事長がハクオロに変わってから、その辺りの規制は個人の判断に任せられ、逸脱しすぎなければ罰も無いのだ。 気難しい顔をしたままだったオボロが、不意ににやりと笑った。 「持っていないんだろう」 「…………えぇ、持っていません」 溜息一つ。オボロは、どうやらベナウィが菓子を持っていないことを知った上で、このようなことを言い出したようだ。 「……それで、私はどうなりますか。貴方が悪戯を?」 「勿論、そうだ。それがルールだ」 オボロは楽しそうだった。瞳がキラキラしている。それに見惚れている自分は、大概幸せ者だと思う。悪戯されるにしても、オボロになら、という気持ちがあった。どんな酷い事でも、彼から受けるものであれば甘んじて受けるし、受けてもいいとさえ思ってしまう。 それ程に入れ込み執着する己の欲に、呆れもするし、そんな対象にされてしまった彼を不憫にも思う。 己の内のものに、問われている気がする。 悪戯か、菓子か。彼を、欲のままに手に入れるのか、それとも…。 ベナウィが思考に囚われている内に、オボロが動いていた。唇に、彼の指先が触れた。かっと頬に血が上った気がした。 「口、開けろ」 「…な、にを…」 「悪戯だ」 オボロがまたにやっと笑う。少しだけ開いた口に、何かが突き込まれた。舌に触れたそれは丸くて甘い。 白く細い柄から彼の指が離れる。棒付きキャンディだったようだ。 「舐め終わるまで、出すんじゃないぞ。悪戯なんだからな」 飴を咥えたままこくりと頷いて見せれば、彼は満足気だった。ベナウィには彼の意図がよく見えない。これは、果たして悪戯と言えるのだろうか。 オボロは立ち去るつもりがないらしい。そのまま近くの窓辺に寄りかかった。 暫く舐めていると、彼が何を待っているのかに察しがついた。飴の味が変わったのだ。レモンだろうか。かなり酸味が利いていた。ただ、ベナウィはそれを不味いとも、殊更酸っぱいとも思わなかったから、ただ舐め続ける。 オボロが眉間に皺を寄せた。己の表情に変化が無い事を不思議に思っているのかもしれない。 「……美味いのか?吐き出したくなったりしないか」 こくりと頷く。飴が口にある為、話せないのだ。 「……おかしいな……」 オボロは眉を寄せて唸っている。悪戯というのは、恐らくこれの事だったのだろう。普通ならば、吐き出したくなるものなのかもしれない。 「とりっ、く…お、あ、とりーと」 飴を舌に乗せたままだったから、舌足らずになった。オボロが首を傾げる。 「トリック・オア・トリート」 二度目はもう少しうまく話せた。オボロが眉を顰めた。どうやら彼も、菓子を持ち合わせていないようだ。皆に配って無くなった、という所だろうか。 ベナウィはにこりと笑った。オボロからは、にやりという形容になったかもしれないが。 オボロの唇に指を当てる。オボロの頬が赤く染まった。 「な……!」 思わずといった風に声をあげた瞬間を狙って、己の口中にあった飴を彼の舌に乗せた。 「最後まで舐めて下さいね。…悪戯、なのですから」 「…………っ!?」 オボロが口を押さえた。オボロは苦いものが苦手だった。酸っぱいものもあまり得意ではないのだろう。少しだけ涙目になった瞳が、理不尽だと言いたげに見上げた。 「悪戯とお菓子、両方頂いたハロウィンは初めてです」 ベナウィのそれは、嬉しくて言った言葉だったのだが、オボロには嫌味に聞こえてしまったようだ。見上げる瞳が険を帯びる。 ベナウィは苦笑と共に首を傾げる。 菓子の一つもない状態で、さて、如何にして彼を苦い顔から甘い顔にさせようか、と。
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